2008年11月21日金曜日

世界のYOGAの発信地、LA

人種のるつぼと言われるアメリカの中でもここロサンゼルスは群を抜いています。ここからも東へ少しダウンタウンに向かって走ればハングル文字の看板が氾濫するコリアンタウンが広がり、その先はメキシカンタウン、南にはグリークタウンが、ハリウッドを目指して北へ向かうとタイタウンやその先にはリトルアルメニアなる町も現れてきます。全くありとあらゆるエスニックタウンが形成される様はまるで人種の織物のようです。

人種に限らず何かにつけダイバースと形容されるLAですが、それはヨガの世界もまたしかり。その種類、数の多さは、驚くばかりで、ありとあらゆるスタイルのヨガがあり、ヨガセレブリティーと称される国内外で活躍するヨガインストラクターもLAに集中しています。私もこの一年、いくつかのヨーガスタジオに足をはこびました。有名どころでは、ヨガスタジオの草分け的なYOGA WORKS やシアンコーン、シバレイといったカリスマインストラクターのクラスがある、ベニスのEXHALE、ハリウッドの中心に素晴らしいスタジオを持つクンダリーニヨガのメッカ、GOLDEN BRIDGE など、独自のインストラクター養成コースを持ちクラスの種類も多く充実しています。
つい最近、ウエストハリウッドにあるCity Yogaというスタジオへパートナーと二人で行うタイ式ヨガのクラスを夫とともに受講しました。夜の7時からたっぷり3時間のクラスで参加者は私たちを含め4組、そのうち二組は、なんとレズビアンとゲイのカップルでした。LAならではのヨガクラスと夫とともに納得した次第です。

ちょうど秋は新学期のシーズンで、今期10月、11月とLAのロヨラメルモント大学のエクステンションプログラムでヨーガスタディーのクラスをいくつか受講しました。ここはキリスト教系の大学なのですが、仏教や東洋哲学などのクラスも充実していてなんとも興味深いプログラム構成です。ここにサンスクリット語のクラスがあると友人から聞き問い合わせた所、ヨーガスタディーなるクラスがあると知りました。学校は世界一大きな人工のヨットハーバーで知られるマリアナデルレイの町の近くに位置しています。裕福な学生を抱えるプライベートスクールだそうで、大学の入り口には見事な噴水が、そして入ってすぐのUniversity Hallという全面ガラス張りの建物にエクステンションのクラスが入っています。まるで一流のオフィスビル並、天井まで吹き抜けの建物内は自然光がたっぷり入り、ガラス越しに見る山並みを借景に木々が街路樹のように植えられて緑あふれるしインテリアとすばらしい環境です。
今回受講したのは、ANATOMY AND PHYSIOLOGYと、INTERNAL ORGANS の二クラス。どちらも今期一ヶ月に渡って行われたヨーガインストラクターのプログラムの一環として設けられたクラスで、受講者はヨーガ指導者もしくは指導者を目指している人たちでした。 クラスは10数名と少人数でしたが、驚いたのは、LA在住は、私を含め3名で、他のメンバーは、イギリスやカナダといった国外や、アメリカ内でもテキサスなど他州からの参加している人たちでした。アナトミーのクラスは、東洋医学のドクターによるもので、骨や筋肉の構造など見慣れぬ英単語の氾濫でおまけに試験まであり、辞書片手に大変でしたが、ヨガのポーズともに体の構造がイメージできるようになり、週末二日間の集中コースでしたが、とってよかったと実感しています。もうひとつのヨガと内蔵との関わりのクラスの方はSrivatsa Ramaswami 氏によるもので、ハンドアウトはいっさい無く先生の話のみといかにもインド風、生徒は床にヨガマットを敷いて座ったり中には寝転がるってという人も、全くリラックスした雰囲気の中すすめられました。上品でおだやかなラマスワミ氏は、現在70歳、元エンジニアでもあったそうですが、アメリカのヨガの中でも盛んなVinyasa Yogaの創始者Krisynamacharya の現存する最後の直弟子ということで、直接教えを受けたいと世界中から受講しにやってくるようです。私も自己紹介のあとしばらく、日本からわざわざやってきたとみんなに思われていたようです。
すでに他のメンバーは、1ヶ月近くに渡ってラマスワミ氏のヨガのクラスを受講しており、クラス全体とても打ち解けた雰囲気で、私も方も前回に引き続いて2度目のクラスということもあり、肩の力をぬいてクラスに参加できました。ラマスワミ氏の人柄もあるでしょうが、クラス全体からとてもいい気が流れているのを感じながら過ごせたヨガならではのクラスでした。
明日を最後に控えたクラスの日、この日は、サーティフィケイトプログラムの最後の卒業式の日で、卒業式を終えてやってきたみんなの晴れやかな顔が印象的でした。
明日でみんなともお別れと思うと名残惜しく、明日のクラスのあと、すぐに飛行機で帰ってしまう人もいるということもあり、クラスが終わったあと、少し勇気を出して、先生を囲んでみんなの記念写真をとりたいと、申し出ると、先生もみんなも二つ返事でOKで楽しい記念撮影となりました。
そして翌日、いよいよ最後の授業。クラスのあと、みんなから先生にプレゼントが手渡されました。先生の嬉しそうな笑顔!そして、ありがとうの言葉。その後、生徒の一人から「開けてみて!」との声があり、先生がプレゼントの中身をゆっくり開くと、、、木製のフレームの写真立てが現れました。その途端、同じ彼女の口から「Thank you! Kazue」と私に向けられて言葉が発されました。そして、「あなたがみんなで写真を撮ろうと言ってくれたおかげで、先生のプレゼントが決まったの!ありがとう。」との言葉が。その途端、体中暖かさに包まれましれ嬉しさがこみあげてきました。
少し勇気を出して言った一言。それは感じた事を飲み込まず、そのまま言葉にして出すという行為でした。その行動が、また形を変えて、次の行動に繋がる。それが今回のみんなからの先生へのプレゼントになったということに、何とも言えない幸福感を感じることができました。
そして彼女がそれを私に言葉にして返してくれたこと。
YOGAとは、繋ぐという意味、その事を実感できた今回のクラス。五日間という短いクラスでの出会いでしたが、生涯忘れられない素晴らしい出会いとなりました。
「ブログにのせるかも」というと、みんな笑顔で「もちろんOK !」との返事。
みんなから先生へのプレゼントの写真です。最近撮ったお気に入りの一枚!

2008年11月18日火曜日

耳文庫の活動

11月も後半、日本の深まる秋とは裏腹にこちらは、日中の気温が毎日30度近くまで上がりまるで夏のような日が続いています。
先週末にオレンジカウンティーや、サンタバーバラなどの3カ所で同時に山火事が発生、悪い事にはサンタアナという季節風と重なり被害は拡大、民家を焼き尽くす悲惨な事態となってしまいました。火事はおさまったもののその影響で、ここ数日LA町の空は焦げ臭く大気中に熱気がこもったような状態で、夜になっても気温が下がらず熱帯夜のようです。

そんな状況の中、先週土曜日、ダウンタウンにある日系の引退者ホーム、Boyle Hight で耳文庫の今年12回目となる朗読発表会が開催されました。
耳文庫はLAを拠点に活動する朗読ボランティアグループで、1994年に、LA在住の肝付佳寿子さんの呼びかけで始められました。加齢や病気で読書が困難になった方達に本を読んであげたいという思いで一念発起、まずはその当時放送されていた日本語のラジオ番組で同志を募るというところからスタートされたそうです。96年にはNPOの認可を受け、
主に、老人ホームや、日本語学園や寺子屋という日本語親子会などを定期的に訪問し、他様々な交流を通じて、日本の文化とともに正しく美しい日本語を語り伝えていくというミッションを掲げ活動しています。現在、シアトルに転居となった会員が立ち上げたシアトル支部やトーランスやガーデナなど日本人が多く住むサウスベイエリアを拠点に活動するグループなど活動範囲も広がっています。
http://www.geocities.jp/terakoya_la/

ちょうどLAでの生活も落ち着き、何かボランティアの仕事をと思っていた矢先、見始めた日本語放送のTV番組で、作家飯沼信子氏の文章教室が朗読集団、耳文庫主催で行われるとのCMを耳にしました。かねがね機会があればまた朗読も始めたいと思っていたこともあり、早速問い合わせ8月に見学に出かけていきました。
見学したのは、3ヶ月に一度行われる文章教室の日で、そこで選ばれた五つの作品が耳文庫のメンバーによって朗読されました。作品のテーマは「私の宝物」。それぞれのストーリーに驚きや共感があり、和気あいあいと楽しい時間を過ごす事となりました。
メンバーは、こちらに長く住む人たちが多く、年齢も様々ならもちろん人間模様も色とりどり、耳文庫の活動を通じてまたいろんな出会いがあると、参加することにしました。

日米交流ロサンゼルス朗読会

夏の間は忙しく10月から参加した耳文庫、今回初めての「日米交流のロサンゼルス朗読会」が、リトル東京にある曹洞宗北米別院禅宗寺で開催され、入って早々ビッグイベントからのスタートとなりました。
日本側からは、日本人朗読協会の堀田紀寘さんがご主人と来日し、朗読が披露されました。その後日本語を勉強するアメリカの学生の登場で、星新一の楽しい短編小説が元気いっぱい朗読された後、耳文庫からは,ベテランのお二人による森鴎外の「高瀬舟」と、耳文庫の朗読の指導者である、木村秀隆氏の「羅生門」が語られました。
禅宗寺からの演目は、まず写経グループによる、柳澤桂子さんの般若心経「生きて死ぬ智慧」が、そして、秋葉玄吾僧主の道元禅師の「正法眼蔵」を解釈したという「修証義」の声明が、堀田紀寘さの朗読とともに披露されました。この場面では今回舞台となった本殿の仏像が鎮座する仏間のしきりが開かれ、舞台に並べられたろうそくの光の中に凛とたたずむ仏像の姿を眼にしながらといった趣のあるものでした。
入ったばかりの耳文庫でのイベントは、いろんな出会いを運んでくれました。今回日本からご夫婦で参加された堀田さんご夫妻。東京で朗読教室をされてる場所が、私の東京の住まいがあると場所ということで話が弾みました。そして今回の日米交流朗読会の実現は、数年前に急性の膵臓の病気で突然ひとり娘を亡くされるという試練を乗り越えての事だと知りました。娘さんを亡くされてから、精神世界を強く意識するようになったとお話しされていましたが、今回、堀田紀寘さんが朗読された、長谷川摂子の「人形の旅立ち」も死というものを見つめたファンタジー、物語を紡ぐその声は言霊のように私の心に深くしみ込んできました。
今回の日米交流朗読会、作品とととも色んな出会いが心に刻まれた一日となりました。
http://www.emikosroom.com/index.html#

第12回耳庫朗読発表会

11月15日、リトル東京の外れにある、日系の引退者ホームボイルハイツ(Boyle Hight) で開催されました。
私も出演する事になり、ここ数週間は朗読の練習に取り組みました。今回のテーマは、「絆」という事で演目は、親子の絆を描いた芥川龍之介の「杜子春」と、愛馬との絆が主題のモンゴルの民話を元にした「スーホの白い馬」の2作品です。
久方ぶりの朗読、私のパートは杜子春の第4部、仙人の住む山で一人修行をするが様々な魔性に肝試しされる場面です。二つ返事で気軽く引き受けたものの一筋縄では行かず、読めば読むほど自分の課題にぶちあたるといった2週間でした。今回再び朗読をスタートするにあたって自分へ課したことは、「無心の境地」で語るという事、そのことの難しさと朗読の奥深さを今回の発表会を通じて気づくことができいいスタートとなりました。

発表会が行われたボイルハイツ敬老引退者ホームは、カルフォルニアの日系アメリカ人が移住した当初の歴史的な場所にあります。天皇皇后もアメリカ訪問の際には何度か立ち寄られとの事です。ここの看護ホームへは3ヶ月に一度耳文庫のメンバーが訪問して朗読を行っています。
敷地内にいくつかの建物があり、その中にコンサートホールがあります。今回の発表会はそこで行われました。ホールの入り口は、アンブレラとテーブルが並びちょっとオープンカフェのようです。そこではボランティアの人たちの手作りにケーキが用意され安い料金で食べられるようになっています。そこは日だまりのよう、温かな空気が流れています。ほのぼのと明るい雰囲気の老人ホームです。私たちのイベントの前後にもお茶や詩吟といったクラスの集まりがあり、様々なボランティアの方が頻繁に活動されているようでした。

朝の10時から、書道の手書きのポスターに色画用紙で作った紅葉を貼ったりと、まるで学芸会のような準備のあと、リハーサルを終え、お昼はみんなの持ち寄りのポットラックスタイルのランチを囲んでわいわい。そして午後1時半から始まった今回の手作りの発表会も無事に終了しました。夕方オープンカフェでの反省会、その時、ふと焦げるようなにおいが鼻を突きました。
そこで初めて知った今回の山火事。見上げると空は、まるで幕が張ったように灰色に煙っています。
ダウンタウンから西に向かって家に帰る道中目にした夕日はいつもと異なり不気味に赤く、まるで炎の玉のようででした。

耳文庫の集会は、毎月第1、第3土曜に、リトル東京のメリノール教会で行っています。
連絡先は213−748−9955
ご興味のある方は、こちらまで。

2008年11月7日金曜日

マドンナ爆発@Dodger Stadium

昨日ドジャースタジアムで行われたマドンナのコンサート。5万人収容の観客席はほぼ埋まり、熱気と興奮の中の2時間あまりのコンサートだった。

今回で2回目となるドジャースジアム、コンサート開始が7時半ということで渋滞を考慮して6時頃には家を出たのだが、到着したのはなんと9時過ぎ。いつも通り渋滞する高速を出てからがまた最悪で、目と鼻の先のスタジアムをつなぐサンセット大通りは完全にスタック状態。いやはや最悪の交通渋滞であった。この道は、全米で最も混むルートとして知られている所だとか。すいていれば30分の道のりを3時間、着いた頃には既に終わってしまうんじゃないかとの心配をよそに、車を降りて大急ぎでかけつけた会場内は、ちょうど一幕目が終わっての休憩時間といった様子。隣の席の人に聞くと、マドンナはまだ登場していないとのことでほっとしたような具合。後で聞くと観客の多くがまだ到着してないという事で開演を遅らせたのだそうだ。
球場内は照明が照らされ、まるで昼間のように明るい。席は上部のRESERVE LEVELで、そこから見下ろすマウンドには、両サイドに大きくMの2文字が浮かぶステージと白いシートがしかれ満員のアリーナ会場。そこには有名人がやってくるようで時々観客席からどよめきが起こり、マドンナ登場前から騒がしい。そして待つ事、一時間弱、突然照明が消え、舞台中央におかれた立方体の巨大なスクリーン上に雷鳴のように轟く音と映像が写しだされると、しばらくして観客の凄まじい歓声の中、マドンナが登場!! 














今年50歳になるマドンナのSTICKY&SWEET TOUR 。今年8月イギリスを皮切りに全米を周り11月下旬マイアミで幕を閉じるこのツアーの興行収入は過去の記録を更新して最高額だとか。
マドンナをというよりは、どんな舞台演出なのか興味があってでかけたが、なじみのヒット曲もオンパレードで、ダンサーとともに繰り広げられる歌と踊りは、舞台とともに七変化。途中ブリトニースピアーズやジャスティンが飛び入り出演し、そこでも多いに盛り上がった。ボクシングリングで赤いボクサーパンツで飛び跳ねながら歌うマドンナがいるかと思えばセクシーマドンナに様変わり。経木の音の加わったバックミュージックに乗って袴姿のダンサーが登場、スクリーンにはアニメや日本語が映し出されるといったジャパンクール的なものも登場した。さまざまメディアアートの祭宴、終盤、スクリーンに人々の写真が映し出される中、オバマの顔が登場すると、会場にはさらに大きな歓声が響き渡った! ピアノやバイオリン との共演、マドンナ自らもギターを弾いて時にはしっとりと、そして最後は観客を呼び込んでエネルギッシュに歌い、最後まで息もつかせぬ舞台転換と数々の曲の披露でマドンナとともに駆け抜けたあっという間の2時間、心踊るエンターテイメントショーだった。
最後の曲が終了すると一気に姿を消し、その後ステージには GAME OVER の2文字がスクリーンに映し出された。

2008年11月4日火曜日

オバマ大統領誕生の瞬間

本日パシフィックタイムの夜8時、選挙人の数字が270を超えた瞬間、オバマの勝利が決まった! アメリカ史上初めての黒人大統領誕生の瞬間である。
今年一月から本格的に始まった大統領選、泡沫候補として当初さして注目をされていなかったオバマ氏がインターネットによる前代未聞の資金集めと戦略で驚異的に支持者をのばし頭角、民主党代表として有力視されていたヒラリーを見事に破って、代表の座に就任。
その後の共和党代表のマッケイン氏との一騎打ちでは、マッケインが副大統領候補に実現すれば史上初となる女性副大統領となるサラペイリンを起用して巻き返しを図り再加熱。波乱に満ちた大統領選はいくつかの山場を超えて今日選挙日を迎えた。そして結果は今まで選挙に行かなかった若者層も呼び込みオバマの決定的な勝利となった。

TV生中継で聞くマッケインのスピーチ、負けた選挙戦ではあったが、地元アリゾナ州で集まった支持者を前に語る、歴史的な選挙戦を戦い抜いた後のマッケンイン氏の表情は清々しく、支持者への感謝の気持ちとオバマへの賛辞、そして何よりもこれからのアメリカへの熱い思いが伝わり感動的であった。

そしていよいよオバマ登場。シカゴのグラントパークで行われた勝利スピーチ、その歴史的な演説をきらきらと輝く勝利のまなざしで聞く支持者たちの表情が熱い。今回の選挙戦の勝利者は、自分を指示して応援してくれたあなた達だと言うオバマの言葉通り、アメリカの選挙戦は国民が主役なのだということを今更ながら実感した。

いまやアメリカは、マイノリティーがマジョリティー、女性や若者の心をもつかんだオバマの勝利は、人種の垣根を越えて多様性の中にこそ今後のアメリカの活力があると信じ、これからアメリカが変わっていく事によって、よりよい未来を実現していくのだという決意の出発点にに思えた。アメリカが変わる事を選択した人々の表情は明るく、オバマとともに ”Yes.We can ! ”を繰り返す人々の声は力は力強い。