2008年12月23日火曜日

引っ越しに追われた、Holiyday Season

気がつけば12月も下旬、今週はHappy Hanukkahに、Merry Christmasとホリデーシーズンもたけなわ。
アメリカでは11月下旬の感謝祭が過ぎるとともにやクリスマスツリーがお目見え、町の街頭やウインドーもライトで美しく飾られ町は華やかに活気づきます。今年は過去数十年来という大不況のため経済は冷え込み、派手なクリスマスパーティーなど中止する企業が増えたというような不況話が飛びかう中、この時期年間の売り上げの半分以上を占めるというショップはどこも前倒しのセール一色、クリスマス前からなんとか売り切ろうと懸命の様相です。
LA名物、アウトドアモール、The Groveにお目見えする樅の木のクリスマスツリー。NYのロックフェラーセンターのものをしのぐ高さ

ここLAでは夏のような陽気が11月に入っても続いていましたが、12月の声とともに一気に冷え込んできました。先週は、ストームの影響でめずらしく数日来の雨が続き、山の麓の町は積雪となりまるで雪国、見出しの写真とともに新聞尾ローカル版の一面ニュースでした。近辺の町でもコート姿の人々が目立ち、いつもとは違う冬の装いのLAの風景でした。

そんな中、12月1日我が家の方は、引っ越しでした。昨年11月に日本からLAに転居して一年、やっと落ち着いたのも束の間、またの引っ越しです。今回は同じセンチュリーシティーの数ブロック先のコンドへの移動ですが、目と鼻の先といえども引っ越しには変わらず、今年のサンクスギビングのホリデーもまたてんやわんやの嵐のうちに過ぎ去りました。ここ数日前、段ボールの山ともおさらば、ようやく引っ越し荷物からも解放され、なんとかすっきりとした気分でクリスマスを迎えられそうです。

そしていまようやく12月のブログも更新です。
LA転居を期に、日本の友人たちとの交流にもなるかと、2008年の元旦の計で自分に課して始めたブログもなんとか一年途切れず続ける事ができました。LAでの生活の中から感じた事を素直に文章にして伝えていこうと今年一月からスタートしましたが、書きたいテーマは次々と浮かぶものの、じっくりとパソコンに向かう時間が思うように取れず、タイトルだけ放り込んで終わってしまったものもいくつかありました。友人からももっとまめにアップしてよとの声も送られてきましたが、結局月に2〜3回の更新といたってスローペースに終始しました。
一年間続けてみて感じる事は、考えや思いを文書にすることの労力と報酬、といったような所でしょうか。思った事を行動に移す事もエネルギーがいることですが、文章にするという行為もまた頭の脳をしぼられるような労働で、たとえささやかなブログであろうと、努力のいる行為でした。
しかし、その報酬としては、まず文書にするからには、いい加減な事はかけないので色々と自分自身勉強になることも多く、そして文章にする事によって自分が何を思い、感じているのか、自分自身の内面の意識と向き合う事で考えがクリアに整理され、時には、自分自身の内面の意識と向き合う事で無意識があぶり出されて意識に変化するといった大きな気付きがありました。これは労力の見返りとしての授かり物ですね。
来年もまた続けていこうと思っています。どうぞよろしく。

Happy Holiydays!  December 2008



2008年11月21日金曜日

世界のYOGAの発信地、LA

人種のるつぼと言われるアメリカの中でもここロサンゼルスは群を抜いています。ここからも東へ少しダウンタウンに向かって走ればハングル文字の看板が氾濫するコリアンタウンが広がり、その先はメキシカンタウン、南にはグリークタウンが、ハリウッドを目指して北へ向かうとタイタウンやその先にはリトルアルメニアなる町も現れてきます。全くありとあらゆるエスニックタウンが形成される様はまるで人種の織物のようです。

人種に限らず何かにつけダイバースと形容されるLAですが、それはヨガの世界もまたしかり。その種類、数の多さは、驚くばかりで、ありとあらゆるスタイルのヨガがあり、ヨガセレブリティーと称される国内外で活躍するヨガインストラクターもLAに集中しています。私もこの一年、いくつかのヨーガスタジオに足をはこびました。有名どころでは、ヨガスタジオの草分け的なYOGA WORKS やシアンコーン、シバレイといったカリスマインストラクターのクラスがある、ベニスのEXHALE、ハリウッドの中心に素晴らしいスタジオを持つクンダリーニヨガのメッカ、GOLDEN BRIDGE など、独自のインストラクター養成コースを持ちクラスの種類も多く充実しています。
つい最近、ウエストハリウッドにあるCity Yogaというスタジオへパートナーと二人で行うタイ式ヨガのクラスを夫とともに受講しました。夜の7時からたっぷり3時間のクラスで参加者は私たちを含め4組、そのうち二組は、なんとレズビアンとゲイのカップルでした。LAならではのヨガクラスと夫とともに納得した次第です。

ちょうど秋は新学期のシーズンで、今期10月、11月とLAのロヨラメルモント大学のエクステンションプログラムでヨーガスタディーのクラスをいくつか受講しました。ここはキリスト教系の大学なのですが、仏教や東洋哲学などのクラスも充実していてなんとも興味深いプログラム構成です。ここにサンスクリット語のクラスがあると友人から聞き問い合わせた所、ヨーガスタディーなるクラスがあると知りました。学校は世界一大きな人工のヨットハーバーで知られるマリアナデルレイの町の近くに位置しています。裕福な学生を抱えるプライベートスクールだそうで、大学の入り口には見事な噴水が、そして入ってすぐのUniversity Hallという全面ガラス張りの建物にエクステンションのクラスが入っています。まるで一流のオフィスビル並、天井まで吹き抜けの建物内は自然光がたっぷり入り、ガラス越しに見る山並みを借景に木々が街路樹のように植えられて緑あふれるしインテリアとすばらしい環境です。
今回受講したのは、ANATOMY AND PHYSIOLOGYと、INTERNAL ORGANS の二クラス。どちらも今期一ヶ月に渡って行われたヨーガインストラクターのプログラムの一環として設けられたクラスで、受講者はヨーガ指導者もしくは指導者を目指している人たちでした。 クラスは10数名と少人数でしたが、驚いたのは、LA在住は、私を含め3名で、他のメンバーは、イギリスやカナダといった国外や、アメリカ内でもテキサスなど他州からの参加している人たちでした。アナトミーのクラスは、東洋医学のドクターによるもので、骨や筋肉の構造など見慣れぬ英単語の氾濫でおまけに試験まであり、辞書片手に大変でしたが、ヨガのポーズともに体の構造がイメージできるようになり、週末二日間の集中コースでしたが、とってよかったと実感しています。もうひとつのヨガと内蔵との関わりのクラスの方はSrivatsa Ramaswami 氏によるもので、ハンドアウトはいっさい無く先生の話のみといかにもインド風、生徒は床にヨガマットを敷いて座ったり中には寝転がるってという人も、全くリラックスした雰囲気の中すすめられました。上品でおだやかなラマスワミ氏は、現在70歳、元エンジニアでもあったそうですが、アメリカのヨガの中でも盛んなVinyasa Yogaの創始者Krisynamacharya の現存する最後の直弟子ということで、直接教えを受けたいと世界中から受講しにやってくるようです。私も自己紹介のあとしばらく、日本からわざわざやってきたとみんなに思われていたようです。
すでに他のメンバーは、1ヶ月近くに渡ってラマスワミ氏のヨガのクラスを受講しており、クラス全体とても打ち解けた雰囲気で、私も方も前回に引き続いて2度目のクラスということもあり、肩の力をぬいてクラスに参加できました。ラマスワミ氏の人柄もあるでしょうが、クラス全体からとてもいい気が流れているのを感じながら過ごせたヨガならではのクラスでした。
明日を最後に控えたクラスの日、この日は、サーティフィケイトプログラムの最後の卒業式の日で、卒業式を終えてやってきたみんなの晴れやかな顔が印象的でした。
明日でみんなともお別れと思うと名残惜しく、明日のクラスのあと、すぐに飛行機で帰ってしまう人もいるということもあり、クラスが終わったあと、少し勇気を出して、先生を囲んでみんなの記念写真をとりたいと、申し出ると、先生もみんなも二つ返事でOKで楽しい記念撮影となりました。
そして翌日、いよいよ最後の授業。クラスのあと、みんなから先生にプレゼントが手渡されました。先生の嬉しそうな笑顔!そして、ありがとうの言葉。その後、生徒の一人から「開けてみて!」との声があり、先生がプレゼントの中身をゆっくり開くと、、、木製のフレームの写真立てが現れました。その途端、同じ彼女の口から「Thank you! Kazue」と私に向けられて言葉が発されました。そして、「あなたがみんなで写真を撮ろうと言ってくれたおかげで、先生のプレゼントが決まったの!ありがとう。」との言葉が。その途端、体中暖かさに包まれましれ嬉しさがこみあげてきました。
少し勇気を出して言った一言。それは感じた事を飲み込まず、そのまま言葉にして出すという行為でした。その行動が、また形を変えて、次の行動に繋がる。それが今回のみんなからの先生へのプレゼントになったということに、何とも言えない幸福感を感じることができました。
そして彼女がそれを私に言葉にして返してくれたこと。
YOGAとは、繋ぐという意味、その事を実感できた今回のクラス。五日間という短いクラスでの出会いでしたが、生涯忘れられない素晴らしい出会いとなりました。
「ブログにのせるかも」というと、みんな笑顔で「もちろんOK !」との返事。
みんなから先生へのプレゼントの写真です。最近撮ったお気に入りの一枚!

2008年11月18日火曜日

耳文庫の活動

11月も後半、日本の深まる秋とは裏腹にこちらは、日中の気温が毎日30度近くまで上がりまるで夏のような日が続いています。
先週末にオレンジカウンティーや、サンタバーバラなどの3カ所で同時に山火事が発生、悪い事にはサンタアナという季節風と重なり被害は拡大、民家を焼き尽くす悲惨な事態となってしまいました。火事はおさまったもののその影響で、ここ数日LA町の空は焦げ臭く大気中に熱気がこもったような状態で、夜になっても気温が下がらず熱帯夜のようです。

そんな状況の中、先週土曜日、ダウンタウンにある日系の引退者ホーム、Boyle Hight で耳文庫の今年12回目となる朗読発表会が開催されました。
耳文庫はLAを拠点に活動する朗読ボランティアグループで、1994年に、LA在住の肝付佳寿子さんの呼びかけで始められました。加齢や病気で読書が困難になった方達に本を読んであげたいという思いで一念発起、まずはその当時放送されていた日本語のラジオ番組で同志を募るというところからスタートされたそうです。96年にはNPOの認可を受け、
主に、老人ホームや、日本語学園や寺子屋という日本語親子会などを定期的に訪問し、他様々な交流を通じて、日本の文化とともに正しく美しい日本語を語り伝えていくというミッションを掲げ活動しています。現在、シアトルに転居となった会員が立ち上げたシアトル支部やトーランスやガーデナなど日本人が多く住むサウスベイエリアを拠点に活動するグループなど活動範囲も広がっています。
http://www.geocities.jp/terakoya_la/

ちょうどLAでの生活も落ち着き、何かボランティアの仕事をと思っていた矢先、見始めた日本語放送のTV番組で、作家飯沼信子氏の文章教室が朗読集団、耳文庫主催で行われるとのCMを耳にしました。かねがね機会があればまた朗読も始めたいと思っていたこともあり、早速問い合わせ8月に見学に出かけていきました。
見学したのは、3ヶ月に一度行われる文章教室の日で、そこで選ばれた五つの作品が耳文庫のメンバーによって朗読されました。作品のテーマは「私の宝物」。それぞれのストーリーに驚きや共感があり、和気あいあいと楽しい時間を過ごす事となりました。
メンバーは、こちらに長く住む人たちが多く、年齢も様々ならもちろん人間模様も色とりどり、耳文庫の活動を通じてまたいろんな出会いがあると、参加することにしました。

日米交流ロサンゼルス朗読会

夏の間は忙しく10月から参加した耳文庫、今回初めての「日米交流のロサンゼルス朗読会」が、リトル東京にある曹洞宗北米別院禅宗寺で開催され、入って早々ビッグイベントからのスタートとなりました。
日本側からは、日本人朗読協会の堀田紀寘さんがご主人と来日し、朗読が披露されました。その後日本語を勉強するアメリカの学生の登場で、星新一の楽しい短編小説が元気いっぱい朗読された後、耳文庫からは,ベテランのお二人による森鴎外の「高瀬舟」と、耳文庫の朗読の指導者である、木村秀隆氏の「羅生門」が語られました。
禅宗寺からの演目は、まず写経グループによる、柳澤桂子さんの般若心経「生きて死ぬ智慧」が、そして、秋葉玄吾僧主の道元禅師の「正法眼蔵」を解釈したという「修証義」の声明が、堀田紀寘さの朗読とともに披露されました。この場面では今回舞台となった本殿の仏像が鎮座する仏間のしきりが開かれ、舞台に並べられたろうそくの光の中に凛とたたずむ仏像の姿を眼にしながらといった趣のあるものでした。
入ったばかりの耳文庫でのイベントは、いろんな出会いを運んでくれました。今回日本からご夫婦で参加された堀田さんご夫妻。東京で朗読教室をされてる場所が、私の東京の住まいがあると場所ということで話が弾みました。そして今回の日米交流朗読会の実現は、数年前に急性の膵臓の病気で突然ひとり娘を亡くされるという試練を乗り越えての事だと知りました。娘さんを亡くされてから、精神世界を強く意識するようになったとお話しされていましたが、今回、堀田紀寘さんが朗読された、長谷川摂子の「人形の旅立ち」も死というものを見つめたファンタジー、物語を紡ぐその声は言霊のように私の心に深くしみ込んできました。
今回の日米交流朗読会、作品とととも色んな出会いが心に刻まれた一日となりました。
http://www.emikosroom.com/index.html#

第12回耳庫朗読発表会

11月15日、リトル東京の外れにある、日系の引退者ホームボイルハイツ(Boyle Hight) で開催されました。
私も出演する事になり、ここ数週間は朗読の練習に取り組みました。今回のテーマは、「絆」という事で演目は、親子の絆を描いた芥川龍之介の「杜子春」と、愛馬との絆が主題のモンゴルの民話を元にした「スーホの白い馬」の2作品です。
久方ぶりの朗読、私のパートは杜子春の第4部、仙人の住む山で一人修行をするが様々な魔性に肝試しされる場面です。二つ返事で気軽く引き受けたものの一筋縄では行かず、読めば読むほど自分の課題にぶちあたるといった2週間でした。今回再び朗読をスタートするにあたって自分へ課したことは、「無心の境地」で語るという事、そのことの難しさと朗読の奥深さを今回の発表会を通じて気づくことができいいスタートとなりました。

発表会が行われたボイルハイツ敬老引退者ホームは、カルフォルニアの日系アメリカ人が移住した当初の歴史的な場所にあります。天皇皇后もアメリカ訪問の際には何度か立ち寄られとの事です。ここの看護ホームへは3ヶ月に一度耳文庫のメンバーが訪問して朗読を行っています。
敷地内にいくつかの建物があり、その中にコンサートホールがあります。今回の発表会はそこで行われました。ホールの入り口は、アンブレラとテーブルが並びちょっとオープンカフェのようです。そこではボランティアの人たちの手作りにケーキが用意され安い料金で食べられるようになっています。そこは日だまりのよう、温かな空気が流れています。ほのぼのと明るい雰囲気の老人ホームです。私たちのイベントの前後にもお茶や詩吟といったクラスの集まりがあり、様々なボランティアの方が頻繁に活動されているようでした。

朝の10時から、書道の手書きのポスターに色画用紙で作った紅葉を貼ったりと、まるで学芸会のような準備のあと、リハーサルを終え、お昼はみんなの持ち寄りのポットラックスタイルのランチを囲んでわいわい。そして午後1時半から始まった今回の手作りの発表会も無事に終了しました。夕方オープンカフェでの反省会、その時、ふと焦げるようなにおいが鼻を突きました。
そこで初めて知った今回の山火事。見上げると空は、まるで幕が張ったように灰色に煙っています。
ダウンタウンから西に向かって家に帰る道中目にした夕日はいつもと異なり不気味に赤く、まるで炎の玉のようででした。

耳文庫の集会は、毎月第1、第3土曜に、リトル東京のメリノール教会で行っています。
連絡先は213−748−9955
ご興味のある方は、こちらまで。

2008年11月7日金曜日

マドンナ爆発@Dodger Stadium

昨日ドジャースタジアムで行われたマドンナのコンサート。5万人収容の観客席はほぼ埋まり、熱気と興奮の中の2時間あまりのコンサートだった。

今回で2回目となるドジャースジアム、コンサート開始が7時半ということで渋滞を考慮して6時頃には家を出たのだが、到着したのはなんと9時過ぎ。いつも通り渋滞する高速を出てからがまた最悪で、目と鼻の先のスタジアムをつなぐサンセット大通りは完全にスタック状態。いやはや最悪の交通渋滞であった。この道は、全米で最も混むルートとして知られている所だとか。すいていれば30分の道のりを3時間、着いた頃には既に終わってしまうんじゃないかとの心配をよそに、車を降りて大急ぎでかけつけた会場内は、ちょうど一幕目が終わっての休憩時間といった様子。隣の席の人に聞くと、マドンナはまだ登場していないとのことでほっとしたような具合。後で聞くと観客の多くがまだ到着してないという事で開演を遅らせたのだそうだ。
球場内は照明が照らされ、まるで昼間のように明るい。席は上部のRESERVE LEVELで、そこから見下ろすマウンドには、両サイドに大きくMの2文字が浮かぶステージと白いシートがしかれ満員のアリーナ会場。そこには有名人がやってくるようで時々観客席からどよめきが起こり、マドンナ登場前から騒がしい。そして待つ事、一時間弱、突然照明が消え、舞台中央におかれた立方体の巨大なスクリーン上に雷鳴のように轟く音と映像が写しだされると、しばらくして観客の凄まじい歓声の中、マドンナが登場!! 














今年50歳になるマドンナのSTICKY&SWEET TOUR 。今年8月イギリスを皮切りに全米を周り11月下旬マイアミで幕を閉じるこのツアーの興行収入は過去の記録を更新して最高額だとか。
マドンナをというよりは、どんな舞台演出なのか興味があってでかけたが、なじみのヒット曲もオンパレードで、ダンサーとともに繰り広げられる歌と踊りは、舞台とともに七変化。途中ブリトニースピアーズやジャスティンが飛び入り出演し、そこでも多いに盛り上がった。ボクシングリングで赤いボクサーパンツで飛び跳ねながら歌うマドンナがいるかと思えばセクシーマドンナに様変わり。経木の音の加わったバックミュージックに乗って袴姿のダンサーが登場、スクリーンにはアニメや日本語が映し出されるといったジャパンクール的なものも登場した。さまざまメディアアートの祭宴、終盤、スクリーンに人々の写真が映し出される中、オバマの顔が登場すると、会場にはさらに大きな歓声が響き渡った! ピアノやバイオリン との共演、マドンナ自らもギターを弾いて時にはしっとりと、そして最後は観客を呼び込んでエネルギッシュに歌い、最後まで息もつかせぬ舞台転換と数々の曲の披露でマドンナとともに駆け抜けたあっという間の2時間、心踊るエンターテイメントショーだった。
最後の曲が終了すると一気に姿を消し、その後ステージには GAME OVER の2文字がスクリーンに映し出された。

2008年11月4日火曜日

オバマ大統領誕生の瞬間

本日パシフィックタイムの夜8時、選挙人の数字が270を超えた瞬間、オバマの勝利が決まった! アメリカ史上初めての黒人大統領誕生の瞬間である。
今年一月から本格的に始まった大統領選、泡沫候補として当初さして注目をされていなかったオバマ氏がインターネットによる前代未聞の資金集めと戦略で驚異的に支持者をのばし頭角、民主党代表として有力視されていたヒラリーを見事に破って、代表の座に就任。
その後の共和党代表のマッケイン氏との一騎打ちでは、マッケインが副大統領候補に実現すれば史上初となる女性副大統領となるサラペイリンを起用して巻き返しを図り再加熱。波乱に満ちた大統領選はいくつかの山場を超えて今日選挙日を迎えた。そして結果は今まで選挙に行かなかった若者層も呼び込みオバマの決定的な勝利となった。

TV生中継で聞くマッケインのスピーチ、負けた選挙戦ではあったが、地元アリゾナ州で集まった支持者を前に語る、歴史的な選挙戦を戦い抜いた後のマッケンイン氏の表情は清々しく、支持者への感謝の気持ちとオバマへの賛辞、そして何よりもこれからのアメリカへの熱い思いが伝わり感動的であった。

そしていよいよオバマ登場。シカゴのグラントパークで行われた勝利スピーチ、その歴史的な演説をきらきらと輝く勝利のまなざしで聞く支持者たちの表情が熱い。今回の選挙戦の勝利者は、自分を指示して応援してくれたあなた達だと言うオバマの言葉通り、アメリカの選挙戦は国民が主役なのだということを今更ながら実感した。

いまやアメリカは、マイノリティーがマジョリティー、女性や若者の心をもつかんだオバマの勝利は、人種の垣根を越えて多様性の中にこそ今後のアメリカの活力があると信じ、これからアメリカが変わっていく事によって、よりよい未来を実現していくのだという決意の出発点にに思えた。アメリカが変わる事を選択した人々の表情は明るく、オバマとともに ”Yes.We can ! ”を繰り返す人々の声は力は力強い。

2008年10月12日日曜日

アート降る!秋のLA Night

10月に入ってずっと日中は夏日のような暑い日が続いていますが、日が暮れる頃には随分ひんやりと感じられるようなってきました。秋の空気は澄んでクリスプ、冴えた空の青さもさることながら、夕焼け空がひと際美しい季節がかえってきました。
そして夕闇とともに顔を出す月もまたひと際美しい今日この頃です。

LAに暮らし始めてはや一年。当初、LAには四季がないかのような話を聞いていましたが、一年を過ごしてみると、やはりここ にも季節の移り変わりは感じられました。LAに転居して迎えた秋、満開のブーゲンビリアの横に赤く色づいたもみじの葉を目にして驚き、それでも時には枯れ葉が舞う秋 がすぎて、そのあと冷たい雨がそぼ降る冬がやってきました。お天気がいい日には冬でもTシャツ姿のLAの街から眺めた 真っ白な雪を冠った山の姿、ちょうどその日もよく晴れた一日で、まるで夏と冬が一緒にやってきたかのような不思議な気分とともに青空と雪景色のコントラストが今も目に鮮やかに浮かびます。そして冬のあ とには、色とりどり花々が次から次へと顔を出し、新緑が素晴らしい春が訪れました。そして迎えた本格的なLAの夏。照りつける太陽の日射しは強烈でしたが、海からの風が心地よく吹き、日が暮れた後はいたって快適、全くクーラーいらずの夏を過ごしました。
そして今再びのLAの秋を迎えています。   秋の空は七変化、そこに映し出される夕焼けも見事です。

秋は何かとイベントの多い季節、夕暮れとともに秋のLAの街をアートとともに楽しめるイベントに先週いくつかでかけていきました。


FREEWAVES

ハリウッドの町なかで開催されたエキスペリメンタルメディアアートフェスティバルFREEWAVES 、先週そのオープニングパーティーが老舗のルーズベルトホテルのプールバーで行われました。時刻はちょうど日が暮れて街のネオンが輝きだす頃、ここのホテルは、LAのトレンディースポット、ヤシの木が茂るカルフォルニアらしいセッティングのプールバーでは飲み物を片手に談笑する人たちで溢れ、到着した頃には既にパーティーたけなわといった雰囲気でした。個性的でおしゃれな出で立ち人が多く、People watching も楽しめるイベントでした。
11回目になるフェスティバルのテーマは、”AROUND THE GLOBE ”30カ国160のアートチームもしくはアーティストによるエキジビッションがハリウッドの中心地、サンセット通りにある商店やギャラリーを巻き込んで昼夜、ユニークに展開されるようです。今回パーティー会場のではプールの中に浮かんだ白い球体に映像が映し出されるといった展示などが見られました。
その後もパーティーは引き続き10時から場所を変えて、向かいのクラブ、ニッティングファクトリーでDJを交えて行われました。今回何かわからないまま面白そうと出かけていったイベントでしたが、秋の夜、ネオン輝く夜の街の散策もたまには気分転換、いいものです。

WWW.FREEWAVES.ORG


LUNNA MENOH COUTURE SALVAGE @Bergamot station

先週末はもうひとつ夜からスタートするユニークなアートイベントに出かけました。
ちょうど太陽が沈んで茜色に染まる見事な夕焼けを見ながらの出発です。
場所はサンタモニカ市にある駅の跡地を利用した一大アートセンター、ベルガモットステーション。敷地内には倉庫風の建物が建ち並び、各コンプレックスごとにギャラリーが集まっています。この中にサンタモニカミュージアムも入っています。
今回のイベントは、ここにあるTrack 16 Galleryで、夜の8時から開催された”LUNNA MENOH COUTURE SALVAGE ”リサイクルをテーマに 廃材を使ってでデザインされたコスチュームやアクセサリーのファッションショーが、ライブミュージックともに繰り広げられました。今回のショーのデザイナーであり、バンド、Jean Paul Yamamoto のボーカリストでもある、Lunna Menoh は、日本人女性。村上隆のコスチュームを手がけた事でも知られ、ロンドンのロイヤルアルバート美術館に作品が収蔵されているそうです。ショーのはじめにはテレビや掃除機といった廃材を壊して洋服やアクセサリーの材料を作り出す過程がビデオで紹介されました。
本番では次々とモデルが廃材で作られたユニークな作品を身につけて登場、そしてモデルたちは必ず退場する前に携帯電話で話をするというパフォーマンスがつきます。

ショーのあとは、Lunna Menoh率いるバンド Jean Paul Yamamotoの演奏。バンドには元 DEVOの名ドラマー、Alan Myers がメンバーの一人として出演。アランとは、友人を通じて知り合い、こちらに来て購入したインドの打楽器タブラの鳴らし方を教えてもらったりしていながら、まだ一度もドラムの演奏を聞いた事が無く、今回はアランのドラムを聞くのがメインで出かけていったイベントでしたが、行ってみて驚きのユニークなパフォーマンスショーでした。

会場は立ち見もいっぱいで大入り盛況、ショーの後には、今回の作品のコスチュームやアクセサリーも即売されていました。
www.lunnamenoh.com
www.bergamotstation.com

ART WALK

LAの夜のアートイベントはこれからも盛りだくさん。
美術館も金曜や土曜は夜もオープン、
ダウンタウンでは毎月第2木曜日に夜9時までART WALK というイベントがで開催されています。
秋の夜長、アートとともにLAの町散策もおすすめです。

http://www.downtownartwalk.com/

2008年10月10日金曜日

LAフィルハーモニック @Walt Disney Concert Hall

10月にはいり、LAフィルmusic centerでの LAオペラ、ダンスなど年間シーズンがスタート。ここLAも「芸術の秋」到来といった所です。今月はじめ年間席をサブスクライブしている友人の招待で、さっそくLAフィルのコンサートへいってきました。
会 場は、LAフィルのために 2003年に構想から12年もの歳月をかけて建てられたウォルトディズニーコンサートホール。建築家ゲーリーの代表作のひとつで、今やLAのイコン的存在 です。流線を描いて銀色に輝く外観は、見る角度によって異なる表情をもち、全くすごいとしか形容しようがないほど独自なスタイルを放って存在して います。スティールの外観とは一転してホール内はステージから天井にかけて全面ナチュラルな木製パネルに覆われています。内装はサ ントリーホールを手がけた事でも知られる日本の音響設計事務所によるものだそうです。 ここで音楽を聞くのは今回で2回目。
席の方はは大半が、年間のサブスクライバーで押さえられています。前回は、オーケストラ席で舞台は目の前、まず目に入るのが演奏者の靴というような席でした。船をイメージしたという流麗なホール内を眺めながめながら、どんな音が聞こえてくるのかわくわくと演奏が始まるのを待っていたのですが、予想外に音の方は固く、あまり感動を覚えませんでした。今回は、ピアニストの友人の誘いで、彼女がサブスクライブする席は2階のサイド。音は上に広がるので、音楽を聴くに は上の席の方がいいとのことで、そしてこの位置からだと、オーケストラ全体がよく見えて演奏者の様子もしっかり観察できるのだとか、彼女こだわりの指定席です。プログラムは、17年間に渡ってLAフィルの音楽監督を務め、今期が最後となるフィンランド出身の指揮者エサ=ペッカ サロネンによるもの、会場は満員状態です。一部の最後に演奏されたドビュッシーの「海」、波を思わせるようなバイオリンやハープの音色が美しく印象的で した。二部の最後は、ラヴェルの「ボレロ」。まずかすかにドラムの小刻みなリズムが聞こえてきます。その音はまるで時計の振り子のように正確に、そしてタンタンと途絶える事なく続いていきます。どこから聞こえてくるのか、その音の主を探し当てると、しばらくしてフルートの音が加わります。またしても音の在処を キョロキョロ、みつけた!とおもいきや、今度はオーボエが.....なんとも楽しい音の主探し、そして次第に曲は大勢の演奏家を巻き込んで大きなうねりに 発展していきました。ティンパニーやゴングの迫力ある音も印象的でしたが、なんといっても曲の最初から最後まで一糸乱れぬリズムを貫くドラムの音に感動させられました。演奏後、指揮者の指揮棒が数名の演奏者に向けられます。その中にはこドラムの演奏者の姿も!彼 が立ち上がると、待っていました!とばかり大きな拍手を送りました。生の音楽の素晴らしさを堪能できたコンサート でした。
今月下旬サロネン率いるLA フィルの演奏が、東京のサントリーホールでも催されるそうです。
musiccenter.org
LAOpera.com
laphil.org

ディズニーコンサートホールでは、LAフィルの他にも小ホールで演奏される Red Cat と いうシリーズがあります。こちらは新しい実験的な音楽やパフォーミングアートなど様々なスタイルのものが組み込まれたユニークなものです。プログラムをめくると、前日なんと往 年の前衛ロックミュージシャン、ルー リードが出演していました。今なおexperimentalな音楽を発信し続けているようです。
redcat.org

2008年9月17日水曜日

九月の嵐

9月も半ば、日射しも弱まり、日照りも段々と短くなってきました。夏もいよいよ終わりのようですね。過ぎ去る夏を振り返えり、短かかったと感じるのは、今年初めて過ごしたLAでの夏もまた然りです。
8月初旬、北京オリンピックと同時に始まった2008年夏のBSLA(Business Seminer in LA)の活動も今月7日に無事卒業式を迎え、学生たちとともにLAの夏は過ぎていきました。
今回は、参加者の人数も増え、大学もバラエティーに富み個性様々な面々が集まりました。一ヶ月にわたる共同生活は山あり谷ありといったようでしたが、卒業式の最後の挨拶、全員が口にしていた「学生にとって夏の貴重な一ヶ月ををここでみんなと学び、いろんな体験をシェアーできた事が何物にも代えられない宝物になった」との言葉。何かを得たという事よりも、仲間とシェアーできたとい事が一番大切と言い切ったみんなの笑顔と頬に光る涙が印象的でした。LAでの体験を未来につなげて、これからのそれぞれの門出に乾杯!!
 http://mockun.pepper.jp/BSLA/


そして今アメリカでは、Go Back to Schoolと新学年のスタートで新しい門出の季節を迎えています。
そんな最中、先週LA郊外で列車が貨物と衝突。帰宅中の学生や通勤者を巻き込み死者25名を出す大惨事となってしまいました。原因は運転手が携帯メールをしていて信号機を見落としたことによるものとか。ちょうど数ヶ月前に、車の運転中の携帯使用に罰金が嫁せられることになったところで、何とも世相を反映した事故原因に、ドキリとした人も多いのではないかと思います。手元にあれば使ってしまうのは、アメリカの銃の問題でもいつも取り上げられる事ですが、一見便利な携帯電話もこうした大惨事に繋がる凶器となってしまうという事を見せつけられる事件でした。今朝の新聞に事故を起こした運転手の人となりが写真入りで詳しく紹介されていました。見出しに大きく“Engineer described as solitary man” とあり、鉄道愛好家で子供たちやお年寄りに親切で心優しい人柄が伝えられていました。事故が起こった場所は、かねてから危険視されていながら、費用の問題で措置がとられていなかったというような事で、最近のガソリンの値上がりで、列車通勤をする人が増えたというような矢先の事故でもあり、鉄道会社の安全対策の不備が悔やまれます。
そして時期を重なるようにテキサスには、超大型台風アイクが上陸。事前に避難命令がでていたものの、こちらでも死者30人を超す大災害となってしまいました。台風が去った後TVに映し出される光景は、ここがアメリカの都市かと目を疑うような散々たるもので、全く自然の猛威の下にはなす術がないという事を見せつけられたような惨事でした。人災,天災と今回立て続けにアメリカを襲った災難、その後息をつく間もなくやってきた経済危機。大手証券会社、リーマンブラザース社が倒産、続いてゴードマンサックス社と、報じられたかと思いきや、突如政府の関与で75兆円もの途方もない額の国家資金が調達されるというような展開で、今アメリカは次から次への怒濤のように嵐が吹き荒れています。



そんな状況の中、LAで今、心静まる神聖な音楽祭が開催されています。


WORLD FESTIVAL O
F SACRED MUSIC 

1999年からスタートした3年に一度のイベントで、今年で4回目、グローバルな視点で世界中のスピリチュアルなダンスや演奏がラインナップされています。様々な人種が集まる LAならではのユニークな音楽祭です。今月13日から28日までLA 内の様々なシアターや
教会、寺院などで催されています。

まず16日に、インドの舞踊家、Mythili Prakash の出演するSalam Yatra に出かけてきました。

第一部は,作曲家でリュートや笛と様々な楽器を操るマルチ演奏家、そして現在UCLA の教授でもあるDr.Racy 率いるアンサンブルによる中近東音楽の演奏。リュートや笛、ドラム、にバスも加わり、独奏、合奏織り交織り交ぜながら進行。後半、舞台に並んだ大小様々な大きさの13個のTibetan Bawlの音色がゲストアーティスト Michael Perriconeによって奏でられました。まさにジャンルを超えた心の奥に深くしみる音の世界にひき込まれていきました。

そして第二部は、いよいよインド舞踊

スーリアのマントラの独謡とともに登場した Mythili Prakash、太陽礼拝のポーズから舞台は始まります。美しい指先の動き、足首に巻かれた鈴の音、現実の世界からどんどん解き放たれていくように舞台に引き込まれていきました。マントラやキリタンの生伴奏とともに披露される舞を観るうちに段々と瞑想の境地、心が透明になっていくような感覚でした。

これからもすばらしいプログラムが満載。まさにに清浄なる、Sacred worldが、LAで展開されています。 

       Open your heart and listen ! 

http://www.festivalofsacredmusic.org/

2008年8月15日金曜日

LA ドジャースタジアム

八月に入り、北京オリンピックの開幕と共に、ここLAで夏のBSLA(Business seminar in LA )http://mockun.pepper.jp/BSLA/ 
の活動が始まりました。春の活動後、ホームページの改善など宣伝活動を充実、OBによるスタッフたちの努力の甲斐あって、今回は参加者も増え、大学もバラエティーに富んでのメンバー構成となりました。先週8日に歓迎式を迎え、今週早々私の方で前回同様、生徒たちとヨーガのクラスを持ちました。まずは心と体の緊張をほぐして、これから先の多忙な活動をスタートさせてもらえればと始めたプログラム、今回もみんな気持ちよかったとクラスの後はとてもすっきりした様子で、学生たちとヨーガを通じてとてもいい時間を共有することができました。


そして昨日は、学生やサポーターたちとドジャースタジアムへドジャーズ対フィラデルフィア、フィリーズの試合を観に行ってきました。ドジャーズの先発は運良く黒田の当番とあり、私たちの応援にも力が入ります。


フィリーズ側には、外野手に田口が出場、ナイスキャッチに思わず拍手を送り、いったいどちらを応援しているのか分からないような観戦でした。最終的にゲームの方は3対1で終了、ドジャーズの勝利となりました。



Dogers Stadium

メジャーリーグ、LAドジャーズのホームグラウンドとして1962年にオープンした、56,000人の収容人数を誇る西海岸で一番古い巨大な野球場です。ロケーションもよく、ダウンタウンからは目と鼻の先、San Gabriel Monutains を背景に目の前にはダウンタウンのビル群が一望できるLAで一番古い公園Elysian Park内の丘の上に建っています。


みんなと少し遅れて到着したのは7時を回った頃で、既に試合は始まりLAの夕暮れが空を美しく染め始めた頃でした。座席の前に広がる山並みには、"Think Blue"の青色のサインと、ここでもまたLAらしい演出が見られます。今回初めて目にしたスタジアム、ドジャーズカラーのブルーのイメージと重なるとても清浄な印象を受けました。もと、オーナーのオマリー氏が「ガールフレンドを連れてきたくなるような楽しくてきれいな球場」をスローガンとしていたそうで、その伝統でしょうか、球場内は、本当にきれいです。「ドジャーズ永遠の球場」と呼ばれて愛されています。




試合が進むに連れ、応援も白熱、どこからともなくウェーブが起こり竜巻のように観客席を一巡したかと思いきや二巡三巡と繰り返し波のようにやってきます。最近毎日のように新聞のスポーツ誌面に大きな写真入りで紹介されている強打バッター、Manny Ramirez が、バッターボックスに入ると、観客席は一層沸き立ちます。このRamirez選手、数週間前にボストン、レッドソックスからやってきたばかりだと、前の列で盛んに椅子を打ち鳴らして派手な応援を送っている黒人男性が教えてくれました。もう周りはみんなお友達状態です。7回表を終わると恒例の"Take me out to the Ballgame" がオルガンで演奏され、みんな立ち上がって大合唱、観客みんなでゲームを盛り上げていく流れの中から、段々球場全体に一体感が生まれてくるような感じです。この楽しさがアメリカンベースボールの醍醐味でしょうか?! 今回ドジャーズスタジアムでそんなことを感じました。

ゲームを終えて振り向くと、そこにはアメリカの若者たちと一緒に盛り上がっている学生たちの姿!


LAの夏の夜の野球観戦、いいものですね。
ちなみにここ、ドジャースタジアムでかつて雨天中止となったゲームは一度もないのだそうです。      

2008年7月30日水曜日

ある日突然、消えた蓮の花

昨日突如LAを襲った震度5.4の地震。12階の我が家も大きく揺れました。時刻は正午前の11:42AM。部屋の大きな窓ガラスがギーギーと鳴り、思わずベッドにもぐり込んだほどでした。揺れがおさまった後も、しばらくの間窓枠のミシミシという音と共に、窓に垂直に下がったブラインドがまるで振り子のように揺れ続け、背筋が寒くなる思いの数分間でした。あわてて夫に電話するものの回線は繋がらない状態。後で聞くと、オフイスではビルからみんな出されて強制避難となり身動きできなかったそうです。この日午後から日本に出張の夫の方は、帰ってくるやかけこむように空港に向かった次第です。

TVをつけると延々と続く地震の緊急報道。このLA地震は1994年に震源6.7を記録したノースリッジの地震以来14年ぶりの大きなものだそうですが、幸いにも大きな人身事故にはいたらず、ニュースで目にする災難といえば、店の棚から商品が崩れたといったような報道くらいでその後の街の様子も地震があったのが嘘のような静けさでした。

今朝の新聞に、「もし世界のほかの場所でこの地震が起こっていたらきっと大惨事になっていただろう」と記事にありましたが、LAでは前回の地震を教訓に2007年に厳しいビルディングコードが設定され、しっかりとした地震対策がなされたらしくそれが功を奏したというようなことでした。我が家も大きく揺れましたが家の棚から落ちたものは何一つ無く、過ぎ去って思えば、まるで家ごと大きなブランコで揺れていたかのような感じでした。



今回の地震で頭に浮ぶのは13年前の神戸の大震災です。その当時、神戸市に隣接する西宮市に住んでいたのですが 地震の前にNYに転居することとなり、震災をのがれたのでした。そして今回はLAに転居して間もなくの地震との遭遇でした。西宮でも高層の13階に住んでいたので、もしあの時遭遇していたらと思うとぞっとします。今回大惨事にならなくて本当によかったです。地震大国日本から、おまけにこの度、しょっちゅう揺れている東京からやってきたものの、昨日の地震は私が今まで経験した中では最も揺れが大きく、ここ西海岸もまた世界に冠たる地震地帯であることを改めて認識しました。



天災はいつも「ある日突然」にやってきます。そして今や、世界中で耳にする地球温暖化による災害もまた後をたちません。LAも含めカルフォルニアで頻繁に発生している季節外れの山火事。日本もまた季節外れの台風や局地的な集中豪雨、そして海水温度上昇によるクラゲの異常発生などなど、、、、本当に次から次へと現れてくる自然環境の変化に目に見えない不安感ばかりがつのる思いがします。



カルフォルニアでは今年、昨年のまれに見る頻繁な雨のおかげで例年以上に美しい花の季節が迎えられるとあって喜んでいたのですが、そう暢気にうかれてばかりはいられない自然からの警告とも思われるような記事を最近ちょくちょく目にします。



世界でもまれな自然環境に恵まれたカルフォルニアは、ここにしか見られないネイティブフラワーの宝庫だそうですが、今年は、そのいくつかが消えてしまったとのこと、そして今後はその数がますます加速していくとの話です。

春に訪ねたヨセミテ国立公園では地球温暖化による氷河の減少で、ここそう遠くない年月にヨセミテ滝が消滅するというショッキングな警告を目にしました。

そして最近、最もショックを受けたのが、今月上旬 LAタイムズの見出しにあった"Where have Echo Parks' lotuses gone?" という記事の内容。


エコパークは、LAのダウンタウンの北西に隣接する、湖に囲まれた公園で、近くにはチャイナタウンやドジャーズスタジアムなどがあり、古くから市民に愛されてきた公園の一つです。

ここには毎年何百という数のピンクとクリーム色に彩られた蓮の花が咲き、毎年7月上旬に開催されるロータスフェスティバルはLAの風物のひとつですが、今年はなんとひとつも花が咲かなかったというのです!!

まだ一度もその姿を目にしたことの無い私ですが、その記事に「えっ?!」と思わず声を上げてしまったほど驚きました。
仏陀の悟りの象徴、そして泥の中からでも美しい花を咲かせると形容される蓮の花が咲かなくなったなんて なんだか地球の不幸の始まりのように思えてなりませんでした。毎年この蓮の花を楽しみに他州からも多くの人たちが訪れるのだそうで、その蓮の花の数も全米一のスケール
だったとのことです。毎年スケッチや写真を撮り
にやってくる人たちも多く、住民もみんな悲しんでいるとの話でした。私も一度見てみたかったなと、すごく残念です。この現象に前触れはあり、2年前は、かなり遅咲きで、昨年はたった30ほどの花しか咲かなかったそうです。市の対応が遅いと住人は非難しているとのことですが、この地球を汚したのは誰のせいでもないみんなのせいなのではないのかとの思いがします。


蓮の花の消えたエコパークですが、記事を読んで一度週末にでかけてみました。到着したエコパーク、芝生に囲まれた湖には噴水があり、立ち並ぶダウンタウンのビル群を背景に絵葉書のような風情です。芝生に寝転がってくつろぐ人たち、そして街路樹や公園には赤いハイビイスカスやGolden Medalion Tree の黄色い花々が鮮やかに咲いています。何も知らなければ死んでしまった蓮の花のことなど想像する余地も無い平和な日曜日の午後の風景です。

湖水沿いに公園を巡って歩いていると、ボートの船着場があり、そこでチケット売り場の女性に蓮の花のことを聞いてみました。「ロータスフェスティバルなら先週終わったよ。」と言うので、「蓮の花は咲いてたの?」と聞き返したら、「No. I don't know why. 」とぽつり。花が咲かなくてもフェスティバルは開催されたのですね。






エコパークのシンボル"Lady of the Lake"

花はどこへいったのか? 誰も知らない!

ある日突然消えてしまった!










その記事を目にした頃、ちょうど日本で洞爺湖サミットが行われており、ニュースでもとりあげられていました。今回の大きなテーマである地球温暖化対策についての協議、2050年までに温暖化ガスの排出量を半減するとか、、、、

数字の根拠は分かりませんが、そんな遅足でいいのでしょうか? 地球の危機はものすごいスピードで押しよせてきている気がしてならないこの頃です。

2008年7月23日水曜日

誕生日と赤い自転車

今日は誕生日。人生も後半戦にむけてまっしぐらです。

昨晩母から「おめでとう!」との電話が入り、「まだ22日だよ。」というと、「日本はもう23日。」との返答。あっそうか!と今更ながら時間というもののつかみ所のなさに不思議な思いでした。目に見えない時間を計る物差しが数字なら、年齢に表される数字もまた存在して無いがごとし、なんて、都合よく解釈。時間というものもまた、見えなくても存在する心のようにとらえようがないものですね。

今年の夫からの誕生日のプレゼントは、赤い自転車。そのことを伝えると、「じゃあ明日は自転車に乗らないとね〜」と母らしい言葉が返ってきました。


そして今日はLAタイムの23日。母の言葉通り、プレゼントの自転車に乗って近所を一巡りすることに。とりあえず、行き先は夫のジョギングコースの近所の公園。夏の午後の日射しの中、公園では実にいろんな人たちが楽しんいます。ピクニックテーブルを使ってストレッチをする二人組。あんな使い方もあるんだなと感心しながら通り過ぎると、今度は同じくテーブルでトランプに興じるおじいちゃんたち。まるでセザンヌの「カード遊びをする人々」の絵の世界を観ているようです。砂場で遊ぶ子供達とその傍らでおしゃべりに忙しいママさん集団、日本と同じような公園のワンシーンです。自転車から眺める風景は、町の日常を色濃く映し出して、車で一気に目的地に向かうのとは時間の流れも全く違って新鮮に感じられます。なんだか映画のシーンをながめているような気がしてきます。たまにはこうしてゆっくり自転車のペダルをこいで町を眺めて走るのもいいものです。


プレゼントの自転車は、Gelley 製の赤い自転車。家まで乗ってかえって来れるよう近所の自転車屋に出かけて行きました。
きっかけは、メルローズの街を散策中にたまたま自転車屋で目にしたビアンキの白い自転車でした。小さめでちょうどいいサイズで急に自転車に乗りたくなり、ビアンキを取り扱う近所の自転車を調べてでてきたのがBeverly Hills Bike Shop。家族で経営する地域密着の自転車屋さんです。電話をすると親切な応対で早速出かけていくことにしました。

そしてそこで薦められたのが、ビアンキならぬ Gary Fisher の 自転車。LA警察も使っているよとの太鼓判、店に居合わせたお客さんもずっとこのメーカーの自転車を愛用していると加勢する始末、おまけにLifetime Warranty との一押しで、ここはアメリカ、イタリア製のビアンキに勝ち目なし。男性仕様しかないものの、小さいサイズのマウンテンバイク用の自転車を町乗りにもいけるようにハイブリッドのタイヤに変えてもらい、その日即ピカピカの赤い自転車で家まで帰ることとなりました。あとで、調べてみて、Gery Fisher は、マウンテンバイクの創始者で、バイク通にはよく知られたメーカーだとわかりました。

自転車に乗るのは、久しぶり。それも去年10月渡米直前に自転車のハンドルにかけた傘が車輪に挟まり、自転車ごと派手に転倒して以来のこととあって、最初は緊張気味でしたが、しばらく走ると段々肩の力も抜けてルンルンと鼻歌まじり、夏でも天国の様なLA夕方の風に吹かれながらのサイクリングは爽快です。


さて、話を戻して、、、本日誕生日のバイクルートの方は、近所の公園をひと回り、そしてその後、家から一番近いスーパ "OWEN'S" に寄って帰ることにしました。スーパーの袋をバイクのカゴに載せ住宅地の中を抜けて帰る途中、庭の芝生に水遣りをしていた女性が、「そこのスーパーなら配達してくれるわよ」と声をかけてきました。

「自転車に乗りたい気分だったので、」と答えると、とニッコリと笑顔を返してくれました。

 LAで初めて迎えた誕生日です。


2008年7月9日水曜日

LAの夏の風物詩、Hollywood Bowl

いよいよ7月、既に夏本番のLAでは今、野外コンサートが真っ盛り。なかでもHollywood Bowl のプログラムの内容の充実振りは突出です。先月からLAフィルによる夏恒例の野外コンサートのシーズンもスタートし、9月の終わりまで連日コンサートが催され、豪華なゲストを呼んでのプログラムが満載です。私も先月のPlayboy Jazz Festival を皮切りに、7月4日独立記念日の花火打ち上げコンサート、スティービー・ワンダーの公演と、このところ何度か出かけて行きました。


初めて目にしたハリウッドボールのコンサート場、そのスケールと洗練された雰囲気は、さすがエンターテイメントの殿堂といった迫力あるものでした。

入り口でセキュリティーチェックを済ませて入場すると、エスカレータに乗って丘の上の会場に向かいます。

この日は、後方の座席を予約しており、鬱蒼とした緑の樹木の中を抜けながら、更にもう一台のエスカレーターに乗り継いで上へと登っていくことになりました。みんな食べ物をたっぷり詰めこんだバスケットやクーラーを下げてまるでピクニックに出かけて行くようないでたちです。既にピクニックエリアなどではテーブルにお弁当やワインを広げてワイワイ楽しんでいる人たちの姿も目にします。食べているときの姿は、本当にみんな幸せそうで、こちらまでウキウキと楽しくなってきます。

丘の頂上らしきところに到着、エスカレーターを降り会場内に足を踏み入れると、そこは別世界。下方に遠く見下ろすようにシェルと呼ばれる半円の白いドーム状の舞台が臨めます。その舞台を基点に観客席が円錐状に丘の上に広がり、巨大なコンサート会場が山の谷間にドカ~ンと出現。ドームの背後にはハリウッドヒルが見事に稜線を描き、ハリウッドサインも目の前です。自然景観と一体となったなんとも素晴らしいフォーメーションにです。 まるで山の谷間に突如出現した古代の劇場を眺めているかのような第一印象でした。


このHollywood Bowl、1922年に野外コンサート場としてオープンしたそうです。当時の写真を見ると女性はまだドレス姿で歴史を感じますが、人々の楽しみ方は今も昔も根本的には変わっていないのかもしれませんね。オープン当時ボールにはシェルは無く、全くの青空天井だったようです。1929年にコンクリートのアーチが登場し、その後何度か変遷を繰り返して現在のシェルは5代目。過去にはフランク・ロイド・ライトの息子で建築家のロイド・ライト氏が、そして前作はなんとディズニーホールの建築でも注目されたフランク・ゲーリー氏が設計と、会場内のパネルに過去のドームの歴史が紹介されていました。たかがアーチではなかったのですね。シェルは一大建築物なのでした。 現在のものは、音響効果を大きく改善して2004年にお目見えしたそうです。



Playboy Jazz Festival



6月下旬に開催される恒例のジャズフェスティバルで今年で30周年を迎えました。土曜から週末二日間に渡って催され、昼から夜まで楽しめます。土曜日には日本の女性ジャズピアニストHiromi が出演し、後日LAタイムズに、彼女の笑顔の大きな写真入でクリエイティブな演奏を賛辞する記事が載りました。大物ジャズプレイヤー誕生の様相です。


夫と共に出かけた日曜日は、今年グラミー賞に輝いたHerbie Hancock が出演。ハリウッドの空が薄紫に暮れなずんで少しずつ暗闇に変わり始めた頃の登場となりました。その頃には既に会場は満席。後方は木のベンチ席で、すし詰め状態です。座席のキャパシティーは、17,376席だそうです。観客で埋め尽くされた会場はこれまた圧巻でした。

日が落ちると共に舞台は、鮮やかな照明で彩られます。LAに住んでいつも感じるのが光の演出の美しさ!ここHollywood Bowl ではドーム内を帯状に何色もの光の演出が繰り広げられ演奏と光の共演が見事です。LAらしいエンターテイメントの醍醐味を味わえます。ドームの先には暗闇に浮き上がるハリウッドサインと十字架、そして夜空に輝く星と共に自然と人口の光の見事なコラボレーション。これは、きっと世界に一つきり、ここにしかない夢の世界のように思われます。





July 4th Fireworks Spectacular



7月4日の独立記念日は、LAフィルのオーケストラの演奏と花火とのコラボレーションが恒例行事とのことで、この日ちょうど日本からのお客さんがあり、LA紹介がてら再び出かけました。

今回は、前席サイドのボックス席を予約、舞台も目の高さです。4人がけの椅子にテーブルが設置されているのでここでは食事をしながらコンサートを楽しむことができます。
今年の催しは、野球チーム、LAドジャーズの50周年とかで、指揮者をはじめオーケストラの面々もドジャーズのユニホームを着ての登場。ドジャーズの応援歌なども演奏され、往年の監督ラソーダ氏も進行役で登場、そしてOBたちが舞台に上がると会場は多いに盛り上がりました。スライドでも暦年の選手が紹介され、そこには野茂選手の姿も!私たちも一際大きな拍手を送りました。


インターミッションの後、映画音楽の作曲でも有名なランディー・ニューマンが登場、自らピアノの演奏、そして指揮棒を振って曲が演奏され、その後待ちに待った恒例の花火とオーケストラの競演とあいなります。

The Washington Post / Semper fidelis / The Stars and Stripes Forever!  とお馴染みの曲に載って花火が打ち上げられ会場はクライマックスに。オーケストラと花火のコラボレーションは初めてでしたが、音楽にのって夜空に花火が次から次へと打ち上げられる様は豪華絢爛、際立った演出効果と共に最高の花火の祭典でした。

最近新聞で、この所の相次ぐ物価高の為、独立記念日の花火を中止する町もあり、住人が悲しいんでいるとの記事を目にしました。ここLAで、こうして例年通り、豪華な花火でアメリカの記念日を祝うことができたことは、当たり前のことではないんだと思えてきます。「明日という日は昨日の続きにあらず」ですね。こうして今年アメリカで迎えられた独立記念日を大切に心に刻んでおこうと思います。


A Wonder Summer's Night


さあ、いよいよスティービー・ワンダーのコンサート。今夏三度目のBowlとなりますが、予約を入れたのはこれが一番最初。一度は生の声を聞いてみたいと、チケット発売と共に申し込みました。あいにく夫の方は出張と重なってしまい、こちらで最近仲良くなった友人を誘って出かけてきました。ピアニストで、シネマスクリプターそしてTV番組のディレクターとなんとも多才な彼女は、ヨガの指導者でもあり、彼女のヨガのクラスで知り合って仲良くなりました。

この日は最高に理想的なカリフォルニアのお天気。日が暮れる頃には、涼しい風が吹き爽快な空気の中、ワンダー登場までたっぷり友人と会話を楽しむことができ、音楽や映画そしてプライベイトに関することなど話題はあちらこちらに。つい最近知り合ったばかりだというのが嘘のような親近感で、これからもますます仲良くなれそうです。

8時の予定時刻より20分ほど遅れてのワンダー登場となりました。その頃には日もすっかり暮れて暗闇の中、気がつくと会場は既に満席状態、観客の熱気で一杯です。現在57歳のワンダー、伸びのある高音は今も健在。いつもの上を見上げるようにして体全体でリズムを取りながら歌う様もそのままで、聞き進んでいくうちにワンダーそのものが音楽のように思えてきます。今回のコンサートは長女とのデュエットや長男のピアノの演奏と父親譲りの伸びのある歌声、そしてまだ幼い次男のドラムの演奏も登場し、3人の子供たちとの共演の織り交ったとても心温まる内容でした。

今後もハリウッドボールでは、見逃せないプログラムが目白押し。


来週はまた、LAフィルのチャイコフスキーと花火のコンサートに出かけていく予定です。今や人気が高く、いつもチケットが売り切れとなる中国人ピアニストLangLangのボールデビューということもあり、花火と共に楽しみな演目です。



ハリウッドボール、座席によってチケットの値段も10ドル代から用意され、ピクニック気分でお弁当持参で楽しむもよし。会場内にもこちらで評判のPatinaのレストランやデリも入っています。ギフトショップもナイスですよ。
色んな楽しみ方ができる夏のハリウッドボールをどうぞお見逃し無く!


http://www.hollywoodbowl.com/

2008年6月17日火曜日

ジャカランダの紫に染まるLA 

今LAは、結婚式ブームに沸いているとか。今朝のLAタイムズ・ローカル版のトップ記事です。写真には試着室から出てくる男性二人の姿!続いて翌日のLAタイムズ本紙のトップには "Hundred married on historic day"  との見出しが!そして3面にわたり抱擁するウェディング姿の花嫁と花嫁、そしてタキシード姿の花婿と花婿の写真などが繰り広げられ、朝からかなり刺激の強い光景に、目も頭も一気に覚めました。


先月5月15日、カルフォルニア州で同性愛者の結婚が合法的に認められることとなり、また新たな歴史の1頁が開かれました。一ヶ月経った今、LAでは同性愛者の結婚式が花盛りの模様です。



カルフォルニアの人口は増加の一途、今後はゲイやレズビアンの人口もそれに拍車を加えることになるのでしょうか。山あり海あり砂漠ありと、変化に富む自然景観と共に 何かにつけdiverse と形容されることの多いカルフォルニア、そこに住む人種も多様なら人々の生き方もまた様々です。今回の歴史的な出来事は、さらにカリフォルニアの自由と多様性を押し広げて、アメリカの西の端から新しい価値観や文化を発信し現在のアメリカという国を体現していくようなダイナミズムを感じます。




さ~て、そんなLAの空の下、ジャカランダもまた花盛りです。4月下旬ごろからチラホラ咲き始め、既に6月、紫の花を一杯につけたジャカランダの木をいたる所で目にします。このジャカランダの木、羽状の葉っぱの形が独特で、昨年秋こちらに住み始めた頃すぐこのあたりにあるのを目にしていましたが、実際花の季節を迎えてこんなにもLAの町に存在していたのかと驚くばかりです。
      
       花の形は釣鐘状で、桐の花に似ています
       葉の形は羽状複葉で、羊歯のようです



初めてジャカランダの花を目にしたのは4月の末、サンタモニカブルバードを走行中、車の窓から鮮やかな紫の塊が目に飛び込んできました。一瞬の衝撃的なジャカランダの花との出会いでした。その後外出するとしばらく紫の花の姿を追い求めてキョロキョロしていましたが、今やどこに出かけても紫色の花が町を覆っています。ジャカランダ並木もいたる所に出現しまるで花見気分。LAは今紫に染まっているかのようです。






このジャカランダの木、日本で育てていたこともあり、花が咲くのをずっと心待ちにしていました。2000年にアメリカから帰国し、東京での生活を始めた頃、近所の園芸屋で、小さな鉢
に植わった苗木を買いました。葉っぱの形が合歓の木のようでかわいらしく気に入ったのですが、そのやさしげな概観には似合わない旺盛な成長振りで、10センチ足らずの苗木は翌年には2~3倍の大きさに、その後も年々倍速で伸び、鉢を少しずつ大きくしてやがては直径50センチ程の鉢に植え替えることとなりました。始めは観葉植物程度に思っていたのですが、調べてみて南米産の大木だと知りびっくり仰天でした。

今は伊豆高原のマンションの庭に根を下ろしています。植え替えた後も翌年には2階のバルコニーに達する勢いで、まるで「ジャックと豆の木」。今では冬に葉を落とした後、春先新しい葉をつける前に幹をカットし頭打ち状態です。そのせいか、少しずつ幹が太くなり枝の方を増やしています。花はつけませんが、今もきれいな葉ッぱたちを茂らせ、わずかな風にもなびいて涼しげな風情を送ってくれています。

そんな経緯もあり、、LAでジャカランダの花を目にした時は、思いひとしおでした。



ジャカダンダは乾燥した場所で花を咲かせるとのことで、日本で花をつけることは珍しいようですが、日本の南国、宮崎あたりでは花が見られるようです。


5月のブロク「LAは花盛り」にジャカランダ並木の写真を載せたところ、それを見た花好きの友人が、この木が、世界三大花木のひとつだとメールで知らせてくれました。


LAのジャガランダ

ジャカランダがLAの人々の目を魅了し始めた5月の半ばごろ、こちらの新聞に一面大きな写真入で記事が載りました。それによると.....


ジャカランダの種類は多く49品種にも及ぶそうです。ここLAに咲くのは、Jacaranda mimosifolia という品種。アルゼンチンやブラジルあたりの南米が原産で、青味をおびた薄紫の花の色は、南カルフォルニア特有のもので、南米から移植されこちらの気候風土にあわせて出来上がったものらしいです。

植物学的にブルーの色をつけるというのは困難なことらしく、ましてや一面に見事な紫の花をつけるこの大木に対しては、地元でも特別な思いがあるようです。なんだか日本の桜を思い起こさせます。LA近郊のパサデナでは、珍しい白い花のジャカランダが咲くとか、見にいってみたいものです。ジャカランダの木の下が一面紫の絨毯と化しているのを時々目にしますが、この木、毎日散っていく花の数も半端ではなく、家の前や庭にある場合は、毎日の庭掃除が欠かせず住人泣かせだとか。

そしてまたまた驚いたことには、なんと秋にもう一度花を咲かせるのだそうです。精力的ですねぇ~!


















上の写真は、五月にビバリーヒルズで催されたアートショー(Affaire In The Gardens Art Show)の様子。ちょうどジャカランダの花が満開を迎え頃で、さながらジャカランダ祭り!

サンタモニカブルバード沿いの芝生の広場に様々なアート作品のブースが出て、フードやワインに生演奏と、素敵な催しでした。

秋にももう一度開催されるそうです。


7月に入るとそろそろ見頃を終えるジャカランダの花、秋にはどんな色を見せてくれるのでしょうか?

2008年6月9日月曜日

夏の幕開け、Ojai Music Festival

6月にはいると南カリフォルニアは、野外コンサートのシーズンが到来。ここLAではHollywood Bawlでの LAフィル主催のコンサートなど9月下旬まで目白押しです。


そんな夏の音楽の祭典は、例年まずOjai (オーハイと発音します) Music Festival で幕開けとなります。先週5日から週末にかけて始まったOjai Music Festival へ日曜日に出かけてきました。


この日は朝から晴れて気温も上がり、ようやくカリフォルニアらしい天候が戻ってきたかのようです。オーハイは、LAから車で北へ1時間半ほど行った所にある渓谷の町です。オーハイみかん(日本のみかんのように小粒で手で皮をむいて食べれるので勝手にこう呼んでいます)に代表される柑橘の豊富な産地で、よくオレンジの花香るOjai Valley など形容されています。ここは、イギリスの有名な小説「失われた地平線」原作のアメリカ映画「Last Horizon」 の舞台となったところで、アメリカのシャングリラとも呼ばれ、東洋的神秘の香る所とされて、アーティストやニューエイジの人たちも多く住むそうです。

今回どんなところだろうと、ワクワクしながら出かけていきました。Ojaiの標識で、高速を降りると直ぐに緑あふれる道に入っていきます。LAからたった1時間ほどで空気の清らかな高原の町にやってきたような雰囲気です。そして着いた所は、四方をなだらかな山に囲まれたこじんまりした町で、ちょっと日本の里山のような感じもします。とてもチャーミングなところで一目で好きになりました。

今年で62回となるこのオーハイの音楽祭、現代音楽の大物が出演することでも有名で、かつてストラビンスキーもやってきたということです。今年は、ミニマリストのスティーブ・ライヒが登場。日曜日11時からのプログラムは、Steve Reich 自演のClapping Music に始まり、パーカッションのNEXUS や SO PERCUSSION の演奏によるライヒの70年代の作品、Drumming で終わりました。会場はLibbey Bowlで、町の中心にある公園、Libbey Park の中にあります。椅子席も用意されていますが、芝生の自由席で足を伸ばして聴くのが最高に気持ちいいです。カルフォルニアオークの木の下がテント代わりに、いい木陰をつくってくれています。そんな中で聴いた今回のDrumming の曲、ライヒの作品中、最長のもので、4つのパートが区切りなく演奏され曲は1時間にもおよびます。まずボンゴの音が登場、アフリカの大地のイメージに重なっていきます。続いてマリンバ、その後グロッケンシュピール(鉄琴)の高い音へと変化していきます。そして最後は、すべてのエレメントの集合音、まるで永遠に続いていくかのように音とリズムが繰り返され、音楽が体中に広がっていきます。次第に頭の中から雑念が消えて自分がまるで音そのものになったような感覚を味わいました。演奏が終わってしばらくして芝生の観客もみんな立ち上がり、スタンディングオベーションが始まりました。きっとみんな同じような体験だったのではないでしょうか?すばらしい演奏会でした。



コンサートの後、少しオーハイの町を散策しました。ちょうどファーマーズマーケットもやっていて、地元のレモンやオレンジなど買いながら一巡り。Ojai産のオリーブオイルもありました。

公園に面する目抜き通りオーハイアベニューには、しゃれたブティックやギャラリー、そしてレストランなどが軒を並べています。通りにあるコーヒーショップ、Ojai coffee roastinng co. のコーヒーは本格的なおいしさです。通りの反対側の手作りのアイスクリームも甘ったるさを全く感じさせない際立ったおいしさでオススメです。


ここには野外の古本屋として名を馳せるBart's という珍しいBookstore があるときいて行ってみました。
オーハイアヴェニューから一筋北の通りにあり、歩いていける距離です。通りのコーナーに位置し、店の外壁にズラリと本棚が並んでいるのが見えます。野外といってもちゃんと入り口がありました。扉を開けて中に入るとそこはまるでパティオ!
中庭を取り囲むようにして本棚がぎっしりと並んでいます。中央の庭のスペースにはテーブルや椅子が置いてあり、そこでコーヒーを飲みながら読書を楽しむ人達もいます。コーヒーサーバーの所には、「Ojaiで一番おいしい水でいれたコーヒー」とありました。店内は広く本棚ごとに色んなジャンルに分けられていて、まるで図書館のようです。単なる青空天井の本屋をイメージしていましたが、なんともユニーク、
「こんな本屋見たことない!」って感じです。エアコンの効いた室内のスペースも2箇所あります。その1つは、アート関係、もうひとつの方は、ひと部屋がクッキング本のコーナーとなっていて、なんとキッチンが使われていました!



うろろうろと本の探検を楽しむうちに主人が行方知れずとなり、今度は夫探しとあいなりました。
ようやく見つけた夫の方は、「この本おもしれぇ~」と、椅子に座りこんでマジに読書中。当分立ち上がる様子はなく、思いのほかここで長居することなりました。

本屋を出ると、既に夕刻。でもまだまだ日は高く、その後映画「Last Horizon 」のまさにその風景を楽しめるビューポイントまで行ってみることにしました。その場所は、オーハイアベニューを東へ丘を登りきった高台にあります。
丘の上からの眺めはすばらしく、そこはまさに緑香る里山といった風景でした。「ここがアメリカのシャングリラか~?!」 そう思ってながめてると、以前インドで訪ねたリシケシの風景にも通じるような気がしてきました。

東洋的な神秘を感じさせる場所とは、気に溢れたエネルギーの高い所ということなのでしょう。
私たちもここでいいエネルギーをもらって帰ることにしました。

オーハイは夕暮れ時、ピンクに染まる町としても有名です。
今は夏時間でもあり、その瞬間を楽しむまでには、まだしばらくかかりそうです。ピンク一色の風景を拝むのは次の機会にとっておくことにしてオーハイの町を後にしました。


帰りしばらくして、車のバックミラーからピンクに染まっていくオーハイの山並みを遠くに見ることができました。  Beautiful Ojai !!  また訪ねて行きたい町です。


近所の気になるガスステーション

家のそばを通る幹線道路、Olympic Blvd. 沿いに最近気になるガスステーション(ガソリンスタンド)が登場。Robertson の通りとのコーナーにあり、ステンレスでできた銀色に輝くキャノピーは、まるで宇宙センターのような外観です。


ずっと気になりながらもガソリンを入れるチャンスがなく横目で見ながら通り過ぎていたのですが、ようやく利用してきました。

中央に映画のチケット売り場のような小さなブースがあり、そこに人が一名配置されている以外はすべて無機質な銀色の空間です。ガソリン会社の標識や看板も一切見当たりません。入り口には銀色のプレートがあり、ガソリン代の表示があるのみ。



車を止め、クレジットカードを入れていつものようにガソリンを入れてみます。手順が、液晶パネルで表示され、ガソリンを補充している間、画面にさまざまなグラフィックが映し出されて楽しめます。しばらくするとプ~ンとアロマのいい香りが漂ってきました!あたりをキョロキョロと見回してみますと、ステンレスの壁面に丸い小さな穴が!なんと香りつきのウエットティシュが用意されています。なんかいい気分!とこのあたりで心が反応し始めます。ここはいったい何なのでしょう??







エコなデザインのメッセージカードと共にこのガスステーションについての冊子が用意されていました。


エコな資材やリサイクルを活用してデザインされたガスステーションで、テーマは、"a little better " そして "a little less yesterday "  「少しでも地球環境にやさしく」そして「いい気持ちを大切に!」 を提示し始めたガスステーションです。




少し離れたところにトイレの建物があり、ここでは正面にナチュラスな木のフレームがデザインされ、トイレの中の便器は、アルミ缶をリサイユルしたものが使われているとのこと。建物の屋根は、GreenRoof で、植物が植えられていて雨水を利用、エアコンの消費削減効果とCO2削減を、またガスステーションの屋根もソーラシステムを取り入れているとのことで、少しでも過去から前進、環境にプラスになることを取り入れていこうとの配慮が随所に見られます!




上の写真は、ステーションに飾られた地球最後のロボットWALL・E (Waste Allocation Load Litter Earth-Class)
プラネットをきれいにする為にプログラムされたロボットということです。 夏のディズニー映画に登場します。



ここのガスステーション使ってみてかなりのいい気分!! おまけに近辺のガソリンスタンドより料金し安目で嬉しさ倍増です。


アメリカで4月の下旬にガロン4ドルを超えたガソリン代、当分ニュースをつけるとガソリン高騰の話題一色でした。しかしその後も上がり続け、ここにきてガソリン代は5ドルを突破の勢い、いったいいつまで上昇しつづけるのでしょうか?? 今世界は色んな面で見えない不安に覆われているように思われます。そんな中で登場したエコな思いのつまった未来都市のようなガスステーション、HELIOS HOUSE。

環境問題とガソリンの問題の関係は微妙なところですが、少しでも環境にやさしくと目に見える形での新展開にはエールを送りたいと思います。


ガソリンの配給会社ですが、料金が掲示されたパネル上部の角に小さくBPとありました。



2008年6月3日火曜日

Topanga State Park, Eagle Point

六月に入ってまだこの寒さ! LAはこのところずっと涼しく、20度を下回るような気候が続いています。ニューヨークやシカゴより気温が低いほどで朝晩は冷え込み寒いくらいです。日本では、五月に季節外れの台風が到来したとのことですが、ここアメリカでも中西部の相次ぐ竜巻や先月の中国四川州での大地震といい、春から悲惨な天災が相次ぎ、世の中不安感ばかりが募るかのようです。


Topanga State Park

この週末も、涼しい二日間でしたが、日曜日は久しぶり終日晴れて気持ちい一日となり、いつも家から眺めているサンタモニカマウンティンのトパンガ州立公園へハイキングに行ってみることにしました。サンタモニカブルバードの北にあるサンセットブルバード沿いの道から山の方へ向かい、車で30~40分ほどで到着します。この日お天気がいいせいか、駐車場はトレイルに出かける人たちでにぎわっていました。自転車を車に積んでやってきている家族連れも多く、バイクでのトレイルも人気のようです。いくつかのコースがあり、今回はまず片道1時間ほどでいける眺めのいい「Eagle Rockトレイル」に出かけてみることにしました。

トパンガでのトレイルは、6月あたりまで春の花々が楽しめるとのことなので、今回そろそろ見納めと出かけて行きました。

スタートと同時に傾斜のある道が始まり直に汗ばんできます。呼吸を整えて本腰を入れて再スタート。
少しずつペースがつかめ、すれ違う人たちと声を掛け合いながら上がっていきます。一見もうピークは過ぎたかに見えた花たちですが登っていくにつれて上の方では元気な花々が迎えてくれます。しばらく行くと山と反対側にPacific Ocean が広がります。山と海その両方を味わえるカルフォルニアならではの
すばらしい景観です。

先の方に、とがった岩山が見えてきました。少しずつ着実に近づき予定通り一時間ほどでEagle Point に到着です。

大きな岩盤が目の前一杯に広がります。Eagle Rock の名前は、イーグルが羽を広げて空を飛ぶ姿を背中から見た形に由来しています。












Eagle Point
岩肌は滑らないので、スニーカーでも難なく岩の頂上まで登りきることができました。頂上から眺める360度のパノラマ風景は爽快です。岩の反対側は影ができて居心地のいい場所となっていました。既に先着あり。そこはなんと洞窟になっていて、数人のグループが本を広げてなにやら勉強会のようなものを行っていました。今度は朝早くここに瞑想に来ようと心に決めました。


帰りはなだらかな下り道。余裕綽々で鼻歌交じり。行きとは見る風景がこうも違うのかと驚きます。しばらく行くと、白馬に乗ってやってくるの女性二人とすれちがいました。あまりに素敵なので声をかけて写真を撮らせてもらいました。その優雅な白馬の一頭は、なんと「みそスープ」という名前なのだそうです。「へぇ~っ!」とおもしろい話の展開となりました。山を下りながら頭の中をしばらく MISO SOUP がリフレイン、、段々といい名前に思えてきました。

コースを半ば降りきったあたりで次は小さな緑の蛇を発見! 
しばらく見ていましたが動かないので、死んでいるのかと思った矢先、スルスル~~!!一瞬にして草むらの中へ。そのあまりに優雅な動きに目を奪われしばらく固まってしまいました。「白馬のみそスープ」と「緑の蛇」、今回のトパンガでの予期せぬ出会いでした。

海辺のシーフードレストラン Gladstone
帰り、Pasific Palisade という町のコースト沿いにある、「Graystone 」というシーフードレストランで食事をしました。

海に面した屋外のテーブルで食事を取ることもできます。古くからある人気店で今回初めて訪ねましたが、席は満席状態で大賑わいでした。食事と雰囲気、どちらも楽しめてオススメです。そして食事のあと残ったものを持ち帰りに金銀のフォイルをたっぷり使って色んな動物の形にして包んでくれます。初めてのことで嬉しい驚きでした。私たちのテーブルのウェイターは、白鳥(アヒルだと言ったらスワンだと言い返されました!)とカニを作ってくれました。他の席では熟練のウェーターが、ターキーなど豪華な作品に仕上げたりしています。
楽しいひと時を過ごせることうけあいです。