ミシガンの秋
Oak Park で友人とのひさしぶりの再会。同じOak Park の町に住み家族ぐるみで仲良くしていた友人は、母と同世代ながら今も毎朝の水泳を欠かさず、以前と全く変わりない元気な姿で玄関口に登場。私も嬉しくうきうきとはずんだ気分でシカゴの滞在をスタートしました。翌日は早々、友人の娘さん家族の持つミシガンの別荘を訪ねることになり、友人の仲間たちも加わって女4人の2泊3日の小旅行へと出発です。
ミシガン湖を挟んでちょうどシカゴの対岸にあるミシガン州。別荘のあるThree Oaks という町までは車で1時間半ほどです。この日もいいお天気に恵まれ、紅葉をながめながらの快適なドライブとなりました。到着したThree Oaksの町もちょうど紅葉のピークを迎え、黄色く色づいたポプラ並木に紅やオレンジが交わりどこもAutumn colour 一色にに包まれていました。 そんな風景の中、紅葉のトンネルをくぐり抜けるようして到着した別荘は、100エーカーという広大な敷地を持つ実に夢の館!今年アメリカの雑誌『ARCHITECTURAL DIGEST』にも紹介されたという住居は、シルバーの波形メタルの 外壁に、ドアや窓のフレームの鮮やかな黄色のアクセントがきいたモダンな山小屋風といった外観、前に並ぶ、これもコテッジ風の車庫との組み合わせがとてもユニークです。建物の中は、2階まで吹き抜けの広々とした空間がひろがり、床から壁、天井まですべて 木材が使われ、暖炉にはライムストーン、キッチンには淡いベージュの大理石と、すべてやさしいナチュラルカラーの自然 素材で統一されています。そしてふんだんにある 窓からは庭の秋の風景がまるで絵のように眺められ、家の中はどこを見渡しても開放感に溢れていました。
私たちゲストにはそれぞれバス付きの部屋が用意されました。そして屋内プールに、スティームサウナとまるでリゾートホテル並み。敷地内の雑木林で紅葉狩り、朝夕はみんなでヨガもやって、さながらリトリート気分。庭の畑でとれた野菜も秋の味覚とテーブルの一品に。ミシガンの秋を五感で味わう素晴らしい旅となりました。
別荘が掲載された雑誌と、かわいい子供達手作りのハロウィーンパンプキン
シカゴ到着以来ずっと続いていたお天気もミシガンからのシカゴへの帰る途中には崩れ、夜にむけて本格的な雨となりました。昨晩は友人と夜中まで話がはずみ、今朝は少々寝不足気味。友人の方は孫の参観日と雨の中早朝からでかけていきました。私はひとり友人宅で、雨音を聞きながらブログに向かっています。
そろそろ小降りになってきた様子、、、昼には雨もやむでしょう。
さあ、今日はシカゴに向けて出発です。
秋雨のOak Park
Oak Park は、シカゴ近郊の古くからある住宅地で、私も3年間を過ごしたなつかしい町です。シカゴのダウンタウンへのアクセスもよく列車で20分ほどで到着します。
昨晩からの雨で、せっかくの紅葉が散ってしまうのではと心配でしたが、外に出てみるとまるで黄色い絨毯が敷きつめられたよう、素晴らしい黄金街道に変身していました!
私が住んでいたのは、North Oak Park と呼ばれるエリアで、友人宅から駅まで歩いて、駅の反対側になります。紅葉の絨毯を踏みながら小雨の中散歩がてら行ってみる事にしました。
North Oak Park 一帯は建築的に見所が多く歴史的保存地区に登録されています。ことに旧帝国ホテルを建てた建築家として日本でも知られるFrank Lloyd Wright 設計の住居が点在していることで有名で、建築家を始め、多くの観光客が見学にやってきます。当時住んでいたNorth Oak Park Avenue 沿いの家の通りには小説家ヘミングウェイの生家もあり、ここもまた観光ルートのひとつでした。
アメリカで最初に住んだニューヨークの7年という歳月に比べるとシカゴでの3年間は短いかのようですが、今振り返ると多くの思い出が凝縮した年月として深く心に刻まれています。
アメリカ最初の町ニューヨークでは、好奇心のおもむくまま何でも見てやろう、学ぼうと、頭にいくつもアンテナをたて忙しく走り回っていました。ニューヨークの町はその欲求に答えて常に刺激的でおもしろく、7年間はあっという間に過ぎ去ったかのようですが、同時に氾濫する情報と物質に自分自身が疲弊しきった年月であったように思えます。その反動もあってか、シカゴに移ってからは、自分の持てるものを何か発信したい気持ちにかられ、何か始めようと、シカゴで始めたのことのひとつがボランティア活動でした。シカゴが私のボランティアのスタート、以来何らかの形でずっと続けています。今思うと”Take ”から”Give” へと少しずつ意識が傾いて行いった時期だったように思えます。
Oak Park にあるFrank Lloyd Wright Home & Studio、ここは、ライトが、建築家としてスタートし、6人の子供を育てながら20年間住んだ始めて建てた自宅兼仕事場です。世界中から建築家やツーリストが見学に訪 れ、日本人もまた多くやってきます。私が当時住んでいた家からも歩いて行けるところにあり、シカゴに移ってすぐ、日本語案内のボランティアとし て参加しました。この日も雨の中、ツアーの団体が家の前に集り盛況な様子でした。
Frank Lloyd Wright Home & Studio
Home & Studio のあるChicago streetを渡ると数ブロック先に、Hernandes & Woodインテリアデザインスタジオが見えてきます。ここにはインテリアデザインの見習いとしてしばらく通っていました。看板も当時のままで、「まだ在る!」とホッとするや、家の前のポーチには、犬の連れたナンシーのなつかしい姿が!思わず手を振って近づいていくと、訝しそうに身を前に乗り出しながら、しばらくして「Ka、zu、e ~?」とつぶやく声が聞こえてきます。懐かしさのあまり、胸がジ〜ン、、、ナンシーの顔がほころんで笑顔の変わっていくのを見ながら、当時の思い出が溢れ出してきました。
最後に Chicago street からOak Park Avenue に入り、駅の方へ戻ることにしました。その途中には3年間住んだなつかしい我家があります。
そこは2世帯住宅として建てられた一軒家で、当時2階を借りて住んでいました。
思い切ってベルを鳴らすと、大きな少年が出てきました。以前住んでいたと話すと笑顔になって、家の中に招き入れてくれます。そう!この少年の名はSammy、当時はまだ2歳くらい、大好きなシカゴカブスの選手Sammyになりきって裏庭でバットを振っていた姿を思い出しました!
住んでいた2階の家は、植物学者であるご主人の書斎兼仕事場に様変わり、リビングだった部屋の壁は、全面本で埋まっていました。
様々な思い出を紡ぎ出しながらOak Parkの町を訪ねてみると、思い出とは、まるで記憶の中にしまわれた宝石のように感じられてきました。
建築の町としても名高いシカゴの町。ここはニューヨークの碁盤の目のように建つビル群とは違って、高層のビルディングが陰を作らないよう、そして建築が町の風景として考えられて配置され、建築の美しい町といわれています。
2000年に日本へ帰国するときに、出来上がったミレニアムパーク、ここには奇抜なデザインで知られるゲーリーの建てた野外音楽堂があり、新たなシカゴ市民の憩いの場所となっています。
ミレニアムパークに置かれた銀色の球体、シカゴの町が映し出されておもしろい
すぐ近くには、アメリカ四大美術館のひとつ、Art Institute of Chicago があり、今年新たに現代美術を展示するウイングがオープン。建物はイタリアの建築家、Renzo Piano によるもので注目を集めています。
美術館のコレクションは、スーラーの『グランドジャット島の日曜日』を始めとする、フランス印象派の作品が有名ですが、先に触れたフランクロイドライトによる浮世絵の収集などからなる日本美術にも定評があります。ここには、日本の建築家、安藤忠雄がデザインした、屏風を展示する為に作られた部屋もあり、お城の中をイメージしたといううす暗い部屋は、禅ルームとも呼ばれて、隠れた人気スポットのようでした。この美術館にはボランティアとして毎週通っていたこともあり今も特別な思いいれのある美術館のひとつです。
シカゴの町は、水のある町、東の端は、ミシガン湖に面し、また町の中には川が流れ、その跳ね橋とともにシカゴの景観を彩っています。夜のシカゴの町もそのイルミネーションととともに魅力的です。夜の町を歩きながら、随分と外国からの観光客が増えている様子に驚きました。オバマ効果でしょうか?
シカゴを発つ最終日は、友人宅に置いた荷物を取りに、再びOak Parkへ。そして最後に友人と共に、Oak Parkの外れにある公園の紅葉を見て空港へ向かうことしました。友人の方は、昨日ふらりと車でその公園を通り、あまりの紅葉のすばらしさに近くの友達を誘って出直したとのことでした。
公園の紅葉は、あっと息をのむものでした。ピークはすでに通り過ぎているのでしょうが、今がまさに最後というような輝きに満ち溢れています! 命のはかさと輝きを同時に見せてくれた感動的な一瞬の秋の風景でした。
1週間のシカゴ滞在を終え、週末夜の便で LAへ帰ってきました。4時間のフライトは、2時間の時差を縮めて夜9時ころLAに到着。飛行機の窓から眺める夜のLAの町、まるで空から星を落としてちりばめたような光のしずくで、ここもまた息をのむ美しさに包まれていました。 光の町、LAへ突入です。