2009年11月5日木曜日

Autumn colour に染まるシカゴ、ミシガン

日米朗読会のイベントを終えて、翌週シカゴに向けて旅立った。1997年から2000年まで3年間過ごしたなつかしい町シカゴを訪ねるのは、実に6年ぶり。LAXを飛び立った飛行機は4時間かけてシカゴのO'HARE空港に到着した。西部から中西部への時差は2時間、アメリカは広い!と今更ながら感じる。まずはタクシーで友人の住むシカゴ近郊の町、Oak Parkへ向かった。 タクシーがOak Park に近づくにつれ当時の記憶が鮮明に蘇ってくる。以前と全く変わりない町の様子にシカゴとの時差をこえてはるか当時へとタイムトリップです。


ミシガンの秋

Oak Park で友人とのひさしぶりの再会。同じOak Park の町に住み家族ぐるみで仲良くしていた友人は、母と同世代ながら今も毎朝の水泳を欠かさず、以前と全く変わりない元気な姿で玄関口に登場。私も嬉しくうきうきとはずんだ気分でシカゴの滞在をスタートしました。翌日は早々、友人の娘さん家族の持つミシガンの別荘を訪ねることになり、友人の仲間たちも加わって女4人の2泊3日の小旅行へと出発です。

ミシガン湖を挟んでちょうどシカゴの対岸にあるミシガン州。別荘のあるThree Oaks という町までは車で1時間半ほどです。この日もいいお天気に恵まれ、紅葉をながめながらの快適なドライブとなりました。到着したThree Oaksの町もちょうど紅葉のピークを迎え、黄色く色づいたポプラ並木に紅やオレンジが交わりどこもAutumn colour 一色にに包まれていました。 そんな風景の中、紅葉のトンネルをくぐり抜けるようして到着した別荘は、100エーカーという広大な敷地を持つ実に夢の館!今年アメリカの雑誌『ARCHITECTURAL DIGEST』にも紹介されたという住居は、シルバーの波形メタルの 外壁に、ドアや窓のフレームの鮮やかな黄色のアクセントがきいたモダンな山小屋風といった外観、前に並ぶ、これもコテッジ風の車庫との組み合わせがとてもユニークです。建物の中は、2階まで吹き抜けの広々とした空間がひろがり、床から壁、天井まですべて 木材が使われ、暖炉にはライムストーン、キッチンには淡いベージュの大理石と、すべてやさしいナチュラルカラーの自然 素材で統一されています。そしてふんだんにある 窓からは庭の秋の風景がまるで絵のように眺められ、家の中はどこを見渡しても開放感に溢れていました。
私たちゲストにはそれぞれバス付きの部屋が用意されました。そして屋内プールに、スティームサウナとまるでリゾートホテル並み。敷地内の雑木林で紅葉狩り、朝夕はみんなでヨガもやって、さながらリトリート気分。庭の畑でとれた野菜も秋の味覚とテーブルの一品に。ミシガンの秋を五感で味わう素晴らしい旅となりました。







 別荘が掲
された雑誌と、かわいい子供達手作りのハロウィーンパンプキン







シカゴ到着以来ずっと続いていたお天気もミシガンからのシカゴへの帰る途中には崩れ、夜にむけて本格的な雨となりました。昨晩は友人と夜中まで話がはずみ、今朝は少々寝不足気味。友人の方は孫の参観日と雨の中早朝からでかけていきました。私はひとり友人宅で、雨音を聞きながらブログに向かっています。

そろそろ小降りになってきた様子、、、昼には雨もやむでしょう。
さあ、今日はシカゴに向けて出発です。


秋雨のOak Park


Oak Park は、シカゴ近郊の古くからある住宅地で、私も3年間を過ごしたなつかしい町です。シカゴのダウンタウンへのアクセスもよく列車で20分ほどで到着します。

昨晩からの雨で、せっかくの紅葉が散ってしまうのではと心配でしたが、外に出てみるとまるで黄色い絨毯が敷きつめられたよう、素晴らしい黄金街道に変身していました!

私が住んでいたのは、North Oak Park と呼ばれるエリアで、友人宅から駅まで歩いて、駅の反対側になります。紅葉の絨毯を踏みながら小雨の中散歩がてら行ってみる事にしました。
North Oak Park 一帯は建築的に見所が多く歴史的保存地区に登録されています。ことに旧帝国ホテルを建てた建築家として日本でも知られるFrank Lloyd Wright 設計の住居が点在していることで有名で、建築家を始め、多くの観光客が見学にやってきます。当時住んでいたNorth Oak Park Avenue 沿いの家の通りには小説家ヘミングウェイの生家もあり、ここもまた観光ルートのひとつでした。
アメリカで最初に住んだニューヨークの7年という歳月に比べるとシカゴでの3年間は短いかのようですが、今振り返ると多くの思い出が凝縮した年月として深く心に刻まれています。
アメリカ最初の町ニューヨークでは、好奇心のおもむくまま何でも見てやろう、学ぼうと、頭にいくつもアンテナをたて忙しく走り回っていました。ニューヨークの町はその欲求に答えて常に刺激的でおもしろく、7年間はあっという間に過ぎ去ったかのようですが、同時に氾濫する情報と物質に自分自身が疲弊しきった年月であったように思えます。その反動もあってか、シカゴに移ってからは、自分の持てるものを何か発信したい気持ちにかられ、何か始めようと、シカゴで始めたのことのひとつがボランティア活動でした。シカゴが私のボランティアのスタート、以来何らかの形でずっと続けています。今思うと”Take ”から”Give” へと少しずつ意識が傾いて行いった時期だったように思えます。

Oak Park にあるFrank Lloyd Wright Home & Studio、ここは、ライトが、建築家としてスタートし、6人の子供を育てながら20年間住んだ始めて建てた自宅兼仕事場です。世界中から建築家やツーリストが見学に訪 れ、日本人もまた多くやってきます。私が当時住んでいた家からも歩いて行けるところにあり、シカゴに移ってすぐ、日本語案内のボランティアとし て参加しました。この日も雨の中、ツアーの団体が家の前に集り盛況な様子でした。


          Frank Lloyd Wright Home & Studio

Home & Studio のあるChicago streetを渡ると数ブロック先に、Hernandes & Woodインテリアデザインスタジオが見えてきます。ここにはインテリアデザインの見習いとしてしばらく通っていました。看板も当時のままで、「まだ在る!」とホッとするや、家の前のポーチには、犬の連れたナンシーのなつかしい姿が!思わず手を振って近づいていくと、訝しそうに身を前に乗り出しながら、しばらくして「Ka、zu、e ~?」とつぶやく声が聞こえてきます。懐かしさのあまり、胸がジ〜ン、、、ナンシーの顔がほころんで笑顔の変わっていくのを見ながら、当時の思い出が溢れ出してきました。

最後に Chicago street からOak Park Avenue に入り、駅の方へ戻ることにしました。その途中には3年間住んだなつかしい我家があります。
そこは2世帯住宅として建てられた一軒家で、当時2階を借りて住んでいました。
思い切ってベルを鳴らすと、大きな少年が出てきました。以前住んでいたと話すと笑顔になって、家の中に招き入れてくれます。そう!この少年の名はSammy、当時はまだ2歳くらい、大好きなシカゴカブスの選手Sammyになりきって裏庭でバットを振っていた姿を思い出しました! 
住んでいた2階の家は、植物学者であるご主人の書斎兼仕事場に様変わり、リビングだった部屋の壁は、全面本で埋まっていました。

様々な思い出を紡ぎ出しながらOak Parkの町を訪ねてみると、思い出とは、まるで記憶の中にしまわれた宝石のように感じられてきました。



シカゴの町を歩く

建築の町としても名高いシカゴの町。ここはニューヨークの碁盤の目のように建つビル群とは違って、高層のビルディングが陰を作らないよう、そして建築が町の風景として考えられて配置され、建築の美しい町といわれています。

2000年に日本へ帰国するときに、出来上がったミレニアムパーク、ここには奇抜なデザインで知られるゲーリーの建てた野外音楽堂があり、新たなシカゴ市民の憩いの場所となっています。

     ミレニアムパークに置かれた銀色の球体、シカゴの町が映し出されておもしろい

すぐ近くには、アメリカ四大美術館のひとつ、Art Institute of Chicago があり、今年新たに現代美術を展示するウイングがオープン。建物はイタリアの建築家、Renzo Piano によるもので注目を集めています。

美術館のコレクションは、スーラーの『グランドジャット島の日曜日』を始めとする、フランス印象派の作品が有名ですが、先に触れたフランクロイドライトによる浮世絵の収集などからなる日本美術にも定評があります。ここには、日本の建築家、安藤忠雄がデザインした、屏風を展示する為に作られた部屋もあり、お城の中をイメージしたといううす暗い部屋は、禅ルームとも呼ばれて、隠れた人気スポットのようでした。この美術館にはボランティアとして毎週通っていたこともあり今も特別な思いいれのある美術館のひとつです。

シカゴの町は、水のある町、東の端は、ミシガン湖に面し、また町の中には川が流れ、その跳ね橋とともにシカゴの景観を彩っています。夜のシカゴの町もそのイルミネーションととともに魅力的です。夜の町を歩きながら、随分と外国からの観光客が増えている様子に驚きました。オバマ効果でしょうか? 


シカゴを発つ最終日は、友人宅に置いた荷物を取りに、再びOak Parkへ。そして最後に友人と共に、Oak Parkの外れにある公園の紅葉を見て空港へ向かうことしました。友人の方は、昨日ふらりと車でその公園を通り、あまりの紅葉のすばらしさに近くの友達を誘って出直したとのことでした。

公園の紅葉は、あっと息をのむものでした。ピークはすでに通り過ぎているのでしょうが、今がまさに最後というような輝きに満ち溢れています! 命のはかさと輝きを同時に見せてくれた感動的な一瞬の秋の風景でした。









1週間のシカゴ滞在を終え、週末夜の便で LAへ帰ってきました。4時間のフライトは、2時間の時差を縮めて夜9時ころLAに到着。飛行機の窓から眺める夜のLAの町、まるで空から星を落としてちりばめたような光のしずくで、ここもまた息をのむ美しさに包まれていました。 光の町、LAへ突入です。

2009年10月18日日曜日

心つなぐ日米の詩

今年第2回の日米交流朗読会が、ダウンタウンにあるロサンゼルス市立図書館、リトル東京ブランチで行われた。朗読ボランティア耳文庫主催によるこのイベント、昨年同様日本から堀田紀眞さんを迎え、また今年新たな試みとして、アメリカの高校で日本語を学ぶ高校生達に参加してもらうこととなった。


朗読会のプログラムは、まず耳文庫の出し物から。今年は太宰治の生誕100年ということで『走れメロス』をとりあげ、私もナレーションのパートを一部朗読した。

続いて、日本からのゲスト堀田紀眞さんが、山本周五郎の『糸車』の朗読を披露、

その後、ノートルダム高校生達による詩の朗読と続いた。


ちょうど昨年の日米朗読会 から耳文庫のボランティア活動に加わり一年が過ぎたところで、今回は文字通り2回目の参加となる。LAでの生活もこの11月で丸2年となるが、こちらで実感することのひとつがアメリカの若者達の日本語への関心の高さ。日本のアニメなどを通じて日本語にも興味を持ち、なかには独学で学び始める子供達もいるほどだ。いまや日本の経済ともに、80年代をピークに盛況だった日本語ブームも下降の一途で、高校や大学の日本語クラスも中国語におされ減少しているそうだが、それでも、若者達の日本語熱は今も健在、かつてのようなビ ジネス一辺倒からは遠ざかり、日本のカルチャーへの興味へと移行しているのは、むしろ喜ばしいことのように私には思える。日米交流という名のもとに昨年からスタートしたこの イベント、今回は準備段階から関わることができ、こちらで日本語を学ぶ学生達に日本語への理解と興味を深めてもらえればと、 ノートルダム高校で日本語教師をされている庄司先生と協力して日本語クラスの生徒達に参加してもらう運びとなった。


9月の新学期とともにイベントの準備もスタートし、高校の日本語上級の3年生と4年生のクラスで詩の朗読を試みた。日本語を朗読するのは初めてのことであったが、クラスみんなの反応は、「もっと日本語の発音が上手になってきれいな朗読が できるようになりたい」と前向きで、結局3年生のクラスから6名の出演希望者があり、まずは順調な滑り出しとなった。


今回取り上げた詩は、アメリカと日本の詩の2編。それぞれ日本語と英語の2カ国語で朗読するという趣旨で、日本の詩は、高村光太郎の代表的な『道程』を アメリカのものは、日本でも新井満の訳で歌にもなり有名となった『千の風になって』の原文を取り上げた。

『道程』の方は、英語訳が見つからずクラスで高校生達に取り組んでもらうことになった。どうなるかと心配したが、素晴らしい訳がいくつか出てきて中からひとつ選び朗読してもらうこととなった。まさに案ずるより生むが安し!である。

しかし、いざ練習が始まってみると、高校達はそれぞれ部活などに忙しく練習時間の調整が難航、結局みんな揃っての練習ができずに当日を迎え、リハーサルではじめ て通したというようなぶっつけ本番に近いものとなった。それでも参加した高校生達はみんな緊張した面持ちながら、ちゃんと顔上げて一語一語はっきりと心をこめて朗読してくれ、続いて披露した「千の風になって」の合唱もとても感動的だった。観客のみなさんから大きな拍手をいただくと、舞台に並んだ高校生達の表情からすーっと緊張がほどけ、笑顔が輝いていくのを見ながら、まずはみんなといっしょに日米交流の第1歩を踏み出すことができたかなと嬉しさと安堵の気持ちで一杯だった。


最後は、耳文庫の十八番。耳文庫のメンバーの絵による手作りの紙芝居ゴンギツネ。紙芝居を食い入るように見つめる高校生達の表情が印象的だった。

そして、紙芝居の終わりを告げる拍子木の音とともに第2回の日米交流朗読会の幕は閉じた。


朗読会を終えて すぐ、今度はみんなでオリジナルの紙芝居を作ろうと盛り上がっている高校生達。日本語クラスには個性豊かでクリエイティブなメンバーが揃っているそうだ。絵を描く人、文章を書く人、音を奏でる人と、興味は様々で、人材豊富。

さ〜あ、明日に向けて走り出そう! 

        

        


 Be creative!  Enjoy Japanese!!



2009年9月28日月曜日

秋の色

9月も終盤となり日も短くなってきました。夏の終わりを少し淋しく感じる今頃ですが、それと引き換えに素晴らしい夕焼け空がまたかえってきました。そしてまた日暮れとともに顔を出す月の姿がひと際冴えて美しい季節の到来です。

9月に入り、新学期がスタート、今季は久しぶりにまたビバリーヒルズハイスクールで行われているアダルトスクールのESLプログラムをとることにし、アメリカの文化と歴史、そして会話の2クラスに通い始めました。どちらも多彩な国からの参加者でにぎわい、クラスを通じてアメリカだけではなく様々な国の文化を知る事ができるいい機会となっています。クラスではテキスト以外にも新聞記事を題材に数多くのボキャブラリーに浸ることになり、まだまだ英語は勉強していかないとダメだなと感じています。

生活バランスをモットーに6月からスタートした「Balance of Life」 のヨガクラスも今月からもうひとクラス増やし朝と夜のクラスで再スタート しました。参加していただいているメンバーの皆さんたちと週2回ヨガを通じていいエネルギーの循環をはかっています。
今月はまた「自分の香りを見つけよう」とのテーマで、みなさんが楽しみながらアロマセラピーの香りについて学んでいただけるクラスをもつことができました。LAで食通倶楽部を主催されている参加者の方が、ご自身のブログに素敵な写真入りで紹介してくれました。
http://ameblo.jp/shokutsuclub/entry-10344992917.html



さ〜て、夏も終わりです。といっても、ここ南カルフォルニアの海は、日中まだまだ活気に満ち、この週末は、サンタモニカのすぐお隣のトパンガキャニオンビーチへ夫のサーフィンの練習につきあいでかけていきました。
今年はなにかスポーツを始めたいと、夫が選んだのがサーフィン。今回は2度目のトライアルです。若いサーフィンの師匠の指導のもと今回も奮闘、ボードに立つ所までにはいかなかったようですが、波の上で座ることはマスターしたようで、次回からは一人で練習できると、やる気充分。無心で波と戯れる開放感が何よりもリフレッシュになり魅力の様です。
ここには、中級クラスのサーファーが集まるとのことですが、この日も地元のサーファーたちが集っていました。みんな生活の一部のようにさりげなくやってきて、さっさとウエットスーツに着替えてボードをかついで海に入っていきます。
サーファーはカルフォルニアの海の風景の一部みたいです。
沖からあがってきた腹ぺこの二人。ここのビーチにはいい具合にピクニックテーブルがあり、そこでお弁当を広げてのランチタイム、この日は、少し雲がちで、パラソルもいらず助かりました。

ランチのあと、ビーチ沿いの道路を超えて、少し散策。
目にとまったガーデンファニチャーがずらりと並ぶお店の中を通り抜けると、裏口にはハロウィーン用の大きなパンプキンがずらりと並んでいました。
もうちまたはすでに秋の色です。

2009年9月8日火曜日

夏の名残り Leo Carrillo Beach

9月初めのレイバーデーウィークエンドとともに終わりを告げるアメリカの夏。この週末多くの人々が最後の夏を楽しむため小旅行へ、ショッピングへ、レジャーへと出かけていきます。
8月も終わりになって突然ヒートアップした猛暑も、9月に入って徐々に和らぎ、Labor Day の週末はしのぎやすいお天気となりました。それでも昼間の日射しはまだ十分に夏の勢いで、私たちは、夏の最後をビーチで過ごそうと、マリブの北のはずれにあるLeo Carrillo Beach へと出かけていきました。

我家から西に20分も車を走らせれば、そこはもうアメリカ大陸の最西端、太平洋が目の前いっぱいに広けます。海沿いを走るPacific Coast を水平線とともにサンタモニカから北へと車を走らせればもうすぐ青い海と白い砂浜が美しいマリブのまちへと入っていきます。Malibu Beach や Zuma Beach などマリブ内の数あるビーチを通り過ぎ、目指したLeo Carrillo Beach は、さらに北の先、
マリブの北端に位置していました。




Leo Carrillo Beach



ここは、Leo Carrillo State Parkの一部で、岩や洞窟のある景観が独特のこんじまりとかわいいビーチです。この日ビーチはどこも大盛況、ここもまた大にぎわいです。ビーチ沿いの道路には隙間無く並ぶ車の列が延々続き、まず近場に車を駐車すのが一仕事といった状況です。
ビーチは、Happy Summer を絵にしたような別天地。色とりどりのパラソルの下でのんびり過ごす人々や走り回る子供達。ここのビーチは岩礁が多く、様々な色や形の石で埋まった入り江は、波もなく小魚や、貝やカニなど海の生き物たちの宝庫で、子供たちはみんなバケツを手に獲物探しに夢中です。Octobus !!と叫んでいる子供達の声につられて近づいてみると、浅瀬には石の間に囚われの身となったタコの姿! 私もおもわずタコ!タコ!といっしょにはしゃいでおりましたが、しばらくすると少年達はタコをやさしく手で誘導しながら最後は、“Good bye !”と言って広い海へ放してやっていました。

そして、嬉しいことにはここは、Beach Stone の宝庫でした。浅瀬には色とりどりの石がごろごろ、石好きの私にとっては格好のビーチ!
タコの余韻が冷めるや、さっそく石探しに専念、石の上を裸足でさんざん歩き回り、ついでに足裏マッサージと一石二鳥でした。

両手にいっぱい石を抱えてひとまず、パラソルの下で読書中の夫のもとへと足を運ぶ途中、一人の男の子に呼び止めとめられました。指差す方を見ると、バケツの中には、見事な Starfish が、太陽の光を受けて輝いています。「きれいだね〜」と言うと、今度は、「触ってもいいよ。」と返ってきました。「写真をとらせてもらってもいい?」と聞くと、「モッチロン!」と二つ返事。石を置きに行き、デジカメを持参してパチリ。ますます得意げな男の子、どこでヒトデを見つけたか等々、詳しく教えてくれました。

夏のビーチは笑顔とエネルギーがいっぱい!そこには平和な時間が流れています。
Happy Summer を満喫したLabor Dayの休日となりました。

さあ、長い夏も終わり、新学期がスタート、フレッシュマンの季節の到来です。

2009年8月31日月曜日

Summer heats up in LA

8月も終盤、一ヶ月ぶりのブログとなりました。
今年は、June gloom と呼ばれるすっきりしない雲行きの天気が長引き、遅くやってきた夏でしたが、それでも時の早さは同じ事、今年もまた7月、8月と夏はみるみる間に過ぎていきました。

今年の夏の休暇もまたアメリカの国立公園に出かけていきました。アメリカで何が一番感動するかと尋ねられれば、迷わずその雄大な自然!と答えるでしょう。今住むカルフォルニア州をはじめ、アメリカ西部には大自然を満喫できる素晴らしい国立公園が数多く点在しています。
昨年の春は、カルフォルニア州のヨセミテ国立公園へ、夏には、大好きなキャニオンを見たいと、かねてから熱望していたアリゾナ州のレイクパウエルまで車で走り、更にアメリカ先住民の率いるジープに揺られアンテロープキャニオンを訪ね、その後ユタ州のザイオン国立公園を回りました。
そして、今年は、念願のイエローストーンへ。

YELLOWSTONE NATIONAL PARK


イエローストーンは、アメリカの国立公園生誕の地であり、同時に世界で最初の国立公園で、ユネスコの世界遺産にも登録されている世界屈指の自然の宝庫です。
実に有名なイエローストーンですが、いったいどこにあるのか?? まず地図で場所を確認するといった所からスタートし今回もまた夫とともにDiscovery America と、5泊6日の旅に出掛けていきました。
今回は飛行機でまずはユタ州のソルトレイクシティーまで飛び、そこからレンタカーでイエローストーン国立公園へ向けて出発しました。私たちが宿を予約した国立公園の西口のゲートまで、なんとユタからアイダホ、ワイオミングそしてモンタナと4州にまたがるドライブとなりました。
その道中の雄大な大平原と山並み、どこまでも続く牧草地や穀物畑で出会うのは馬に羊に牛と動物ばかり。日が暮れて到着したイエローストーンは、ワイオミング州の北西、ちょうど北はモンタナ州の境界に接するように位置しています。公園内は実に広大で、スポットを見学しながら車で一周するだけでも少なくとも3日はかかるといったスケールです。地形によって園内は5カ所に区分けされ、いまでも熱水をあげる温泉の宝庫、カイザーエリア、滝と渓谷が見事なキャニオンエリア、フライフィッシングで有名なレイクエリアに、草を食むバイソンなどが見られるプレーリーが広がるルーズベルトエリア、そして今も刻々と形を変えているという白い石灰の段丘が見事なマンモスエリアと実に様々な顔を持っています。鮮やかなエメラルド、透き通るサファイア、そして強烈なマスタードにオレンジと自然界のなんとも素晴らしい彩りの温泉群、ぼごぼと音をあげて熱水が吹き出す様はまるで原始の地球を見ているようで、地球の計り知れないエネルギーを感じます。
特異な地形とともに、ここはまた野生動物の宝庫としても知られ、今回の旅では、今では最も見る機会が少なくなったという灰色狼の姿をキャッチすることができました。期待のグリズリーやブラックベアー、そしてムースの姿は見れませんでしたが、草を食むバイソンやエルク、ちょっと珍しいところでお尻やお腹が白い鹿のようなPronghorntといった動物達との出会いが今回の旅をいっそう楽しいものしてくれました。





約1時間おきに熱水を吹き上げる
イエローストーンの代表的な間欠泉 Old Faithful Geyser















Artist Point と呼ばれる渓谷はまるで絵をながめている様















石灰が堆積してできた特異な形状の温泉段丘

Terrace Mountain











GRAND TETON NATIONAL PARK


イエローストーン南には、隣接してロッキー山脈群のひとつである、美しいグランドティトン(Grand Teton)国立公園が続きます。
イエローストーンの後はグランドティトン国立公園を北から南へと移動。ここは切り立った山頂を持つティトンの山並みがまるで絵のような風景です。裾野の草原は、香り高いセージの株が一面に茂り、色とりどりの夏の花に彩られて清浄な空気に満ちあふれています。山を背景にした湖もまた素晴らしく湖ではこの時期、ボートや水遊び、ほとりでは読書を楽しむ人々の姿、みんなその豊かな自然の風景の中でゆったりとした時間を過ごしています。なんだか今日の宿へとあわただしく先を急ぐ旅行者の自分たちの姿がおろかしく感じられてきます。いつかここでこんな風にのんびり一日を過ごしてみたいなという気持ちでグランドティトンを後にしました。またいつか訪ねて行きたい素晴らしいところです。

延々走ったワイオミング州、その面積は、アメリカで10番目と広大ですが、人口はなんと50州中50番目で最少。
州内の土地の多くが国立公園や国指定の森林に指定されていることもあるでしょうが、今回車で走ってみて納得です。ほとんど道中目にするものといえば、延々と続く牧草地に、そこで草を食む馬に牛に羊たちと、動物の姿ばかりでした。

周囲を山に囲まれた美しいソルトレイクシティーの空港を後にして、ロサンゼルス空港到着は日曜の夜。
空港近くの駐車場に預けておいた車をピックアップして、いつものフリーウェイへ。日曜の夜だというのに凄まじい車の波が猛スピードで走り抜けていきます。一瞬背筋がゾッ!となり、旅の余韻は一気に吹っ飛んでいきました。
LAに戻ってきました。ここは、車と人のひしめく大都会。

さて、8月も終わりを迎えてLAは、 気温が一気に上昇、夏は後退するどころか、ヒートアップ現象で、乾燥と高温のため山沿い近郊では数日間に渡る大規模な山火事が発生している始末です。そして今日も気温は、一段と高い。
炎とともに異様な暑さが続きそうです。

2009年7月22日水曜日

夏の盛りの Hermosa Beach


週末ふらりとでかけたHermosa Beach。ここにCool Jazz 発祥の歴史的なジャズクラブ Light House Cafe が今なお健在と耳にし、日曜日には生演奏つきのブランチがあるということで行ってみる事にしました。初めて訪ねたHermosa Beachは、LAの町から高速でわずか30分足らずの距離と、我が家からも実に近場のビーチタウンでした。
すでに7月も下旬にさしかかり、LAは今や夏のまっ盛りを迎えています。朝から太陽は高く輝き、連日の暑さです。
到着したのは午前10時を回った頃と、日曜の朝としては早めのスタートを切ったつもりでいましたが、すでに町の駐車場はどこも満員御礼状態。夏のビーチの朝は早いようです。町は人々の活気で満ちあふれていました。
仕方なくビーチから少し離れた場所に車をとめて、とりあえずその伝説のジャズクラブへと足を運びことにしました。
高台にある町からは海が一望でき、水平線とともに広がる海を臨みながら坂を下っていくと、やがて目の前に白い砂浜のビーチが現れます! 坂の斜面沿いに立つ家々は、こじんまりとしかもしゃれていてちょっと地中海風の香りがします。ビーチに近づくにつれて坂道沿いに、地元のショップやレストランが増えてきます。住居と町、そしてビーチとが見事に溶け合った、イカしたビーチタウンです。
目的のジャズクラブ、Light House Cafe は、坂を下りきった海のすぐそばにありました。すでに店内ではジャズの生演奏が行われていましたが、ちらりとのぞいて素通り、太陽に誘われるまま足はビーチの方へと動き出しました。砂浜に並ぶカラフルなパラソル、ピアのデッキ橋には、釣り竿がズラリと並んで、魚釣りを楽しむ人々でいっぱい。釣り人のバケツを覗き込んでみると、ちょっとキスのような感じの魚が何匹も泳いでいます。「これ食べれるの?」なんてことを興味本位で聞いてみると、以外にもこれは「更に大物を釣り上げる為の餌」だということでした

Hermosa Beachの砂浜は起伏が無いため、世界に冠たるビーチバレーのメッカだということを今回知りました。そしてビーチの前の広場には、伝説のサーファーTim Kelly の像があり、同時にまたサーフィンの聖地の風情です。

LA近郊から続く南カルフォルニアは実にビーチの宝庫、住んでみてその数の多さもさることながらその自然の豊かさに驚いています。そんななかでもHermosa Beachは、キラリと光る素敵な海の町でした。





夏の盛り、今年もまた誕生日がやってきます。
40も半ばを過ぎると年齢不詳と、自分の年を間違えることもしばしばですが、さすがに区切りの年を迎えるとなると、その数字は今や鮮明に頭に刻まれております。
そして今年に入っていっそう気になり始めた50という数と同時に知った様々な50Anniversary

アメリカ生まれと思いきや、実は日本生まれだったあこがれのバーニー人形。
CMソングが今も口から飛び出すヤンマーディーゼルのヤン坊・マン坊。ともに生まれて50年。
そしてこの春訪ねたハワイでは、今年8月でアメリカで50番目の州となるハワイ州生誕50周年と知りました。

先月の終わり、、、マイケル・ジャクソンが突然死亡。
享年50歳。

もう50! それとも、まだ50?

どちらにしても、50はちょっと重い。

明日の誕生日を前に今年も母から「おめでとう!」のの電話、そして「そっちはまだだろうけど日本はもう23日になったよ。」と昨年同様のせりふです。
いよいよきました。

おかげさまで50です。ありがとう。」




 今年8月で50周年のハワイ州 ワイキキビーチの夕暮れ


 
                   


                    

2009年7月5日日曜日

Happy Birthday America

この週末は独立記念日の祝日をはさんでの連休となりました。7月4日の Independence Day 、こちらではむしろ日付そのまま Forth of Julyまたは July Forth と呼ばれの事の方が一般的なようです。この日はまさにアメリカの国民的祝日、一部スーパーなどを除いてどこのお店もお休みとなり、町は星条旗に溢れます。
独立記念日といえばまず浮かぶのが、バーベキューに花火、そしてそれぞれ出し物に趣向を凝らした町挙げてのパレードといったところでしょうか。

ちょうどこの頃アメリカは夏本番を迎え、今年もまた太陽はぎらぎら!エネルギーみなぎる夏まっ盛りの祝日となりました。


INDEPENDENCE DAY PALADE @HUNTINGTON BEACH

今年は、LAの南、太平洋 沿いに広がる数あるビーチタウンのひとつ、Huntington Beachで催されるパレードに出かけていくことにしました。Huntington Beach はサーフィンのメッカとしてその名を知られていますが、独立記念日のパレードもまたミシシッピー以西ではアメリカ最大の規模と名物のようです。そして今年はちょうどパレード100周年のお祝いの年となり盛大に祝われました。

10時からスタートしたパレード、コースとなる沿道には星条旗のみならず、赤、青、白の星条旗カラーを身につけた人々で溢れ、町中の家々もまた星条旗カラーでデコレーションされて、お祝いモード一色です。














パレードは町の住民挙げてのお祭りとあり、披露される出し物は、高校のチアーガールや様々なサークル、はたまた地元のレストラン登場とローカル色に溢れ、そして老若男女の参加者でアットホームに催されます。それぞれ趣向をこらした出し物が紹介されると、沿道の人々も声援で答え場を盛り上げと、みんなで楽しんで祝う実にアメリカらしい手作りの風物行事でした。















アメリカで暮らしていてしばしば感じることの一つは、町それぞれが独立した自治体として個性をもって存在していることと、町の住民の意識の高さ。
今回もまたパレードを見ながらそのことを感じました。
アメリカの独立とは与えられたものではなく、勝ち取ったものだということを思い返しながら、アメリカの独立とともにアメリカ人が誕生したのだということを改めて感じました。そして独立記念日という日もまた国から与えられた祝日ではなく、自らが自立、独立、自由の精神をそれぞれに刻む日なのではということを肌で感じた一日となりました。


FIREWORKS @LONG BEACH

独立記念日の夜は、花火で盛大に締めくくられるのがお決まりです。
花火の質と量共に日本がやはり最高で、こちらの花火の物足りなさはいなめませんが、それはさておき人々の盛り上がりはここにきてピークを迎えます。
そしてLA近郊の太平洋岸に沿ったビーチタウン、ここHuntingtonBeach 界隈にもRedondo Beach、Long Beach、Newport Beachといった町がひしめきどこも夜は花火のメッカとなります。

LONG BEACH は、ロサンゼルス港と並ぶ全米でも屈指の港町。石油に代表される産業を持ち海沿いには高層ビルがそびえ、町というよりは都市の様相です。
一方、リゾートアイランドカタリナ島へのフェリーの船着き場や、豪華客船クイーンメリー号、水族館、Aquarium of the Pacific (www.AQUARIUMOFPACIFIC.ORG) などアトラクションも多く点在し、休日はレジャーを楽しむ人々でにぎわいます。

独立記念日のこの日は、水族館が夜の10時までオープン、バーベキューディナーとのコンビネーションチケットも用意されということで、夜の9時にスタートする花火までここで時間を過ごす事に決めました。

Aquarium of the Pacific は、LAを代表する水族館ですが、思ったより小規模で、少々物足りなさを感じましたが、色鮮やかなコーラルや、熱帯魚などの水槽はとてもきれいで印象的でした。














予定していたより早く見終わってしまい、
5時半からスタートする野外のバーベキューディナー会場の方へ早目に足を運びこととしました。芝生の広場には二人で座るには大きすぎるテーブルが一面に並べられています。料理はお決まりのビュッェスタイルで、ハンバーガーにチキンのバーベキュー、ポテトにコーンと内容もこれまたお決まりのメニュー。
大きなテーブルに二人ポツリと座っていると、しばらくして3人ずれアメリカンファミリーが加わりました。そして夫と日本語で話をしていると、おもむろに母親らしき女性が、「娘が日本語を勉強しているの」と話しかけてきました。
こちらで8年生という女の子、ちょうど食べ盛りの年齢なのでしょうが、既に両親より大きく、私の3倍はありそうでしたが、話しかけるとまだまだかわいらしく、日本のアニメが大好きで、独学で日本語の勉強を始めたのだ、と話してくれました。おばあちゃんにはスペイン語でもやった方が役に立つよ、と言われるのだそうですが、日本語熱は「もうどうにも止まらない!」のだそうです。最後にこちらで人気のアニメ、イヌワシャの主題歌を披露してくれました。それを聴いてその完璧な日本語に夫とともに仰天!!顔を知らなければ日本人が歌ってるとしか思えないほどです。「へぇ〜上手だね!日本語の才能あるんじゃない」というと「学校でもみんなにそう言われる」と誇らしそうな返事が戻ってきました。

こちらで生活を始めて、アニメを通じて日本語に興味を持ってくれる子供達の出会いがしばしばあります。日本の長引く不況でここカリフォルニアにおいても日本企業が撤退する中、一時の大学などでの日本語熱は今や消えかかっているような状態とのことですが、その一方で日本のサブカルチャーの人気による子供達の日本語熱の高まりにはいつも驚かされます。そうした子供達の為に日本は何か政府をあげてやるべきことがあるのでは? アメリカのそして世界の子供達が日本語を通じて日本への理解を深めてもらえれば、次世代につながりるとても素晴らしい文化交流になることだと思います。

さ〜て、ロングビーチで花火を見終えた帰りは、家路に向けて高速も地道もずっと花火街道が続き、凄まじい渋滞!家に帰り着いたのは夜中を過ぎ日付が変わった頃となりました。
「もう来年は花火はいいや」と、うんざりでしたが、、、、

On Independence Day、 アメリカを肌で感じるには、どこか近くの町のパレードに足を運んでみるのもいいかもしれません。

2009年6月26日金曜日

Forever Michel Jackson

先週のNBLの決勝戦、7年ぶりのレイカーズの優勝で湧きに湧いたLAの町。盛大な祝賀パレードが催され、その費用はなんと2ミリオン、その半分はロサンゼルス市が負担という話に、この不況時にけしからんと反対意見の声があがるや、それならばその半分を寄付しましょうとの人物が現れ、とまさにアメリカ的に問題解決! 予定通り華やかにパレードは執り行われた。その様子はTVで生中継され、祝いにかけつけた大勢の人々が見守る中、LAの町は お祝いムード一色に染まった。究極のプレイで今期MVPを獲得したレイカーズのスパースター Kobeの笑顔が最高に輝いていた。

そんなLAを舞台に今週は一転、突然のマイケル・ジャクソン死亡報道、そしてチャーリーズエンジェルで知られる女優ファラ・フォーセットの訃報も重なり、ハリウッドにその名を刻むスーパースターの衝撃のニュースにメディアの話題は一色に塗り替えられた。

70年代を象徴するスーパースター、ファラ・フォーセット。ちょうど先月、再発した肝臓癌克服のためドイツでの最先端のキモセラピー治療と戦う姿がドキュメンタリー”Farra's Story”として赤裸々にTV放映されたばかり。癌の再発にもひるむことなく挑みつづけるその姿に、何事も力で対峙するアメリカ的なものを重ねて見るような思いがしたが、ぎりぎりのところで生きる人の姿は美しく感動的だった。中でも後半治療の副作用で、彼女のトレードマークの見事な金髪が抜け落ちていくシーンは、最も胸につきささった。丸坊主となった姿で画面に姿を現したファラ・フォーセット、彼女の表情は澄み切って今まで以上に美しく感動的だった。ファンからの手紙を宝物のように読む彼女の姿、ドラッグ中毒の息子が刑務所から末期の母親を訪ねてくるシーン、事情を知らない私は息子のその足に繋がれた鎖に驚きながら、今回のドキュメンタリーが、有名人であるが故に過去に病院から彼女の癌治療の詳細が漏れたというプライバシーの問題にも起因している事で、今回あえて自らすべてを記録として公開した彼女の赤裸々さに圧倒される思いだった。ずっとそばで彼女を見守る伴侶のライアン・オニールやエンジェル時代の親友との絆、人間に生きる力を与えているのは人とのつながりなのだとしみじみ思う。生きることの意味は、癌であろうが無かろうが変わらない普遍のものなのだということを見せてもらった。
今はもう安らかに、、、「きっと神様がもうこれ以上がんばらなくてもいいんだよと言ってくれたのだとな」と、訃報の記事を目にしながら夫が一言。私もまた同じ思いである。


Forever Michel Jackson


"King of Pop is dead at 50
" との見出しとともに飛び込んだマイケルジャクソンの死亡報道。
ここLAを舞台に世界が震撼、新聞では連日のトップの記事が続き今メディアは目にするもの耳にするものすべてがマイケルジャクソン一色に染まっている。
80年代を象徴するスーパースターマイケルジャクソン、90年代にはエンターテイメントの世界から遠ざかり、私生活の奇行ぶりばかり取りざたされていたようだが、今年数年ぶりにカムバックとなり、世界ツアー直前での出来事だった。初日のロンドン公演を目前にひかえ、ダウンタウンのSTAPLE CENTER での調整を終えて帰宅した直後の心臓発作、原因は死亡解剖の後でとはいいながらも薬のOVERDOSE? 復帰の為の過度の練習?と様々な憶測が飛びかっている。
連日TVの画面に映し出されるマイケルジャクソンの姿、その歌とダンスで繰り広げられる超越したパフォーマンスには今更ながら驚かされる。彼自身が音楽そのもの、ダンスそのものようだ。常に進化し続けるマイケルジャクソンのその舞台はどれをとってもEXTREME 、まさに極限の域。
世界の人々を魅了して名声とともに手にした富もEXTREMEなら
その成功と表裏一体をなす、それとバランスするかのような負の要因のもまたEXTREME。
ピーターパンを夢見て失われた子供時代をうめる現実逃避のユートピア、NEVERLAND。
整形や、白人化で奇怪に変貌する容姿。
プレスリーの置き形見との結婚に離婚。養子問題、裁判事件、、、 

どれもまるでアメリカという国を体現しているように思う。個人の才能を圧倒的なお金の力で成功という形に変えてしまうアメリカのシステム。お金があればあるほどHuman life から遠ざかり幸せは見えなくなる。マイケルジャクソンを通じてアメリカというものを改めて見つめ考えさせられる思いがする。

今画面に次々とと映し出されるマイケルジャクソンの姿。
ジャクソン5の頃の生き生きした笑顔に心救われる。
はち切れんばかりの歌声、歌って踊ることが最高に幸せそうだ。
その後、不動の成功と名声を手にどんどん進化するように変貌して行くマイケルジャクソン。
しかし、今亡くなって、改めて私たちの前に鮮烈に蘇ったマイケル・ジャクソンのその姿は、すべての負の要因を超越して、ひたすらに美しいと感じる。
その舞台は極限でPURE、そしてその生き様は痛々しいほど人間的で澄んでいる。

50歳再スタートの舞台は、THIS IS IT!

今、その命と引き換えに、MICHEL JAKSON FOREVER!!








7月7日に
MICHEL JAKSONの追悼式が執り行われることとなったSTAPLE CENTER
そこには特大ポ
スターが設置され、メッセージを書き込む人々の列が







 














   

2009年6月9日火曜日

Malibのインド寺院と古代ローマ邸宅

Sri Venkateswara Temple

6月に入ってもすっきりしないお天気が続いているLAですが、週末の日曜日は朝から気持ちよく晴れ、LAの町からもほど近いサンタモニカベイの海沿いに広がる美しいビーチタウン、マリブ へと出かけていきました。まさにマリブ日より!マリブと言えばサーフィンにセレブの豪邸といったイメージですが、今回出かけた先は、ビーチならぬ、 Sri Venkateswara Temple、別名Marib Templeとしても知られるヒンズー教のインド寺院です。昨今頻発している山火事でも知られることになったマリブ、海を背景にすぐ目の前にはサンタモニカマウンテンの山並みが広がり、山と海に囲まれた実に自然豊かな景観です。そんなマリブの町の山側、Calabasas の丘の麓にSri Venkoteswara Templeの白亜の寺院がたたずんでいます。
               
        青空の下、眩しい白さ!Sri Venkoteswara Temple
マリブの山道にをたどり、緑の丘から突如目の前に現れた真っ白な建物! 青空の下、あまりにも美しいコントラストを放っています。そしてここもまた、先月訪ねた台湾のHsi Lai Temple、先週のWat-Thai Templeと同様、本国(南インド)の伝統的な建築様式で建てられた本格的なスタイルを持つ寺院でした。まず目に入るのは、お寺への入口となるgopuramと呼ばれるピラミッド型の石造りの塔。外面には龍や獅子、蓮の花など様々なモティーフの彫りものが施されていてとてもデコラティブです。そのエキゾチックな様を見ているだけで、もうはるかインドにやってきたような気分になります。信者の人たちに見習ってまずは外で靴を脱ぎ、裸足になって中に入って行きました。そこには、中央の大きなお堂を真ん中に四方に小さなshrine、聖堂があり中にはラマ、クリシュナといったヒンズーの神様が祀られています。信者に混じって、まず小さなお堂を順番に回り、神様にお祈りをします。既に石の床は太陽をあびて足の裏はぽかぽかと暖かく、裸足でお堂を回っていくのは何とも気持ちのよいものでした。そして最後本堂へ入っていくと、数名の僧侶に混じって一人オレンジの衣を身につけた長老らしきお坊さんの姿が見受けられました。その独特の風貌、醸し出される雰囲気に突然奥深いインドの山村に迷い込んだかのような戸惑いを感じました。祭壇の方に足を運ぶとそこにははシバ神のシンボルであるリンガムが祀られています。しばらくして若いお坊さんが祭壇にやってきて何やら儀式のようなものが始まりました。まず最初に花の汁のようなうす黄色の聖水が手のひらに注がれそれを口に含むと、次には真鍮の椀のようなものが順番に頭にかぶされていきました。これまた見よう見まね、流れに任せて儀式は知らない間に始まりそしてとどこおりなく終わっておりました。初めてのヒンズー教の礼拝に神妙な気分です。

大黒天に、毘沙門天に、弁財天と、日本の神々もまたヒンズーの神々の生まれ変わり。「すべてを呑み込むヒンズー教、、、」とあった本の中の一節がふと頭に浮かんできます。
お寺を出ると、再びそこにはカルフォルニアの青い空が広がっています。その青空の中でひと際白く輝くインド寺院。
ここはインドか? はたまたアメリカか?
空に境があるじゃなし、世界はひとつにつながっています!

  Sri Venkoteswara Temple: 1600 Los Virgnes Canyon Road, Calabasas, CA 91302
   アメリカにおけるヒンズーコミュニティーの礼拝堂として地域のボランティアを中心
   に運営され、一般にも開放されています。



さて午前中ヒンズー寺院でお祈りを済ませ、午後からはマリブの海沿いに建つ、古代ローマの邸宅、The Gettty Villaへと一足飛びです。
海岸線まではマリブの渓谷沿いの道を通り抜けることとなりました。道路には、"Sceanic View" とのサインが!しばらくすると渓谷の谷間を縫うように飛ぶヘリコプターに遭遇、そして私たちの車と並ぶようにしてすれ違います。ワァー!と歓声をあげるやいなや今度は、対向車線にフェラーリの車が次から次へと轟音をあげて通りすぎていきます。その数は際限なく赤,黄、緑、紫、 etc. と実にカラフル。つい先ほどのインド寺院から一転、今度はまるでハリウッド、映画の中に入り込んだかのような世界にここはマリブとガッテン!

さていよいよ右手に緑のキャンパスが見えてきました。サンタモニカベイを目の前に臨むPepperdine大学 のマリブキャンパスです。なんとも素晴らしい眺め! そして目の前はもう海です!!
そこからは海沿いをしばらく走るとゲッティ・ヴィラに到着です。















The Gettty Villa



高級邸宅地として知られるマリブの海沿いに建てられた、石油王 J•ポール・ゲッティー の邸宅The Gettty Villahttp://www.getty.edu/visit/
現在は美術館として、ギリシャ・ローマの古美術品の収集家として知られるゲッティー氏のコレクションが一般に公開されています。コレクションの公開を目的に美術館として開館したのは1954年に遡り、その後火山の噴火で埋まった古代ローマの邸宅パピルス荘を復元する形で新たな建物が建造され、1974年にゲッティ・ヴィラとして新たに開館したそうです。1997年、ロサンゼルスの名所としても有名なゲッティーセンターがオープンする半年前一時改装の為ながらく閉館となっていたのですが、2006年に再びオープンされ今とても人気の高い美術館です。
入場は人数を制限しているため、ネットで予約をいれなければなりませんが、ゲッティーセンター同様、入場料は無料、駐車料金の10ドルのみで入館できます。
海を面した一号線沿いに、邸宅の門がありそこをくぐって丘を登るように進みます。車をとめてからその先はまた更なる傾斜で、まさに丘の上の邸宅です。エレベーターもありますが階段をのぼって行くことにしました。のぼりきると緑で埋まった敷地の間から覗くように太平洋が臨めます。ここで一息、そこから美術館の建物はまだ先です。想像したよりもずっとビッグスケール。さすが、当代随一の金持ちであったゲッティーの夢の邸宅です!
少しいくと、古代式の円形劇場が現れその規模にびっくり、そしてその先に美術館の建物が見えました。建物は中庭を囲むようにいくつかのギャラリーとして設けられそこに美術品が数多く展示されています。建物もさることながら内装もまた本格的に復元され、壁や床の大理石に至まで見事鑑賞の対象です!建物の回りには大庭園を含め4カ所の庭があり、美術品のみならガーデンツアーも用意されています。美術作品は、古代ローマが中心ですが、ギリシャのオリジナルも多く、美術本で目覚えがある作品もチラホラ、素晴らしいコレクションでした。今、LACMA(ロサンゼルスカウンティーミュージアム)ではポンペイ展が開催中、ちょうど先月出かけて、古代彫刻もいいものだなと思っていたところで、じっくりと楽しむことができました。
入場制限はあっても時間制限はありません。現代によみがえった古代ローマの邸宅での美術鑑賞、潮風に吹かれながらゆったりとした時間を過ごせます。お腹が減ったら美術館のカフェもおすすめです。

休日のマリブ、インドの寺院から古代ローマの大邸宅へと時と空間を駆け抜けてた一日でした。